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朝日新聞社

巨人軍は誰のものか 清武英利「鶴の一声、恐ろしい」

初出:2011年11月26日
WEB新書発売:2011年12月9日
朝日新聞

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 読売グループに長年君臨するトップへの突然の反旗、そして解任。プロ野球・読売巨人軍の代表兼ゼネラルマネジャー(GM)だった清武英利氏の内部告発に対し、共感、反感、冷めた視線と世間の受け止め方は立場によって様々だ。かつての敏腕事件記者を駆り立てたものは何だったのか。清武氏が「鶴の一声」の実態を生々しく語った。

◇江川さんが入ると誰かがはじかれる 現場の信用失う
◇組織決定を覆す「鶴の一声」、私は黙っていられなかった


江川さんが入ると誰かがはじかれる 現場の信用失う

 ――「清武の乱」は、あっけなく鎮圧されたように映ります。ご自身の著書風に言えば「巨人軍は非情だった」ということですか。
 「簡単に世の中は変えられませんよ。法的措置を含めて、息の長い闘いになるかもしれません。この1週間ほどで4キロもやせましたけどね」

 ――85歳にして読売新聞グループ本社会長・主筆で、巨人の球団会長でもある渡辺恒雄さんが2011年11月4日、「(来季のコーチ人事について)何も報告を聞いていない」と記者団に語ったのがすべての始まりでした。
 「その日の夜、桃井恒和・球団オーナー(当時)から『主筆から罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられた』と聞き、渡辺会長に電話しました。すると『コーチ人事は俺が決める。俺は最後の独裁者だ』とまくし立てられた。かなり酔っていたようで、興奮していた。翌日、桃井さんに電話すると『11年10月20日に報告したのに、主筆は聞いていないと言い出した。もう嫌になった。やってられない。辞めるよ』と言う。桃井さんとは社会部時代からの長い付き合いなので『私も殉じます』と申し上げ、二人で辞表を出すということになりました」

 ――しかし、桃井さんは清武さんが11年11月11日に記者会見したことを「かばえない」と批判しました。はしごを外されたのですか。
 「11年11月6日に私から桃井さんに電話したら『明日、主筆に会うが、お前は来なくていいそうだ』と言われたんです。私は『桃井さん、辞めるんじゃないの』と聞いたら『辞表は一応持っていく』と答えた。あれっ、と思いましたね」
 「渡辺会長と会った桃井さんは『辞表などしまっておけ』と言われ、辞表を出しませんでした。その後、桃井さんから新たな人事案を聞きました。江川卓さんが1軍ヘッドコーチとなり、岡崎郁ヘッドコーチは野手総合コーチへ降格、桃井さんはオーナー職を降りて球団社長になり、私は専務のままだがGMから外れる、という内容です。しかも選手獲得などの補強は引き続き私に『やれ』という。編成権がなくなる人間にそんなことはできない。私は『受けられない』と拒否しました」

 ――すでに来季のスタッフが固まり、渡辺さんも一度は了承していたわけですね。
 「渡辺会長は、伝えたことをすぐに忘れてしまうこともあり、必ずペーパーにして渡すよう内部で引き継がれてきました。今回も11年10月20日に5枚にわたる報告書を渡して、了承を得ていました。しかし11年11月9日に読売新聞本社で渡辺会長と午後2時半から二人だけで会った時も、江川さんの人事について言われました」

 ――渡辺さんはなぜ江川さんにこだわったのでしょう。
 「うーん……(沈黙)。渡辺会長は『原君(辰徳監督)が推薦してきた』と言っていました。会長は、監督にものが言える人間が欲しいと思っていたし、『江川君をヘッドコーチにすればファンも本人も次期監督含みだと期待する。集客につながるだろう』という理由でした。『でも監督にはしない』とも言いました。だから原監督にしてみれば、安心してヘッドコーチに据えられると思ったんでしょう。さらに会長は『原君に江川君との交渉役を命じた』とまで言ったのです」

 ――金銭が絡む交渉は本来、監督の仕事ではないですね。
 「そういう場に監督を巻き込んではいけない。それに、江川さんをそんな使い方をしていいのか、と思いました。もともと、渡辺会長は江川さんに対してアレルギーがあった。しかし渡辺会長はこう言ったんです。『悪名は無名に勝る』と。『あいつ(江川氏)は悪名高いが、お客を呼べる』と言うわけです。2004年の球界再編騒動で会長が言った『たかが選手が』という言葉を思い出しました。野球人を、そしてファンを愚弄(ぐろう)している。許せないと思ったんです」

 ――なぜ原監督は江川さんの名前を挙げたのでしょうか・・・

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