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社会・メディア
朝日新聞社

原発とメディア〔2〕 「平和利用」への道(下)

初出:2011年10月31日〜11月30日
WEB新書発売:2011年12月16日
朝日新聞

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 1954年ビキニ事件が起きた当時、原水爆禁止を叫ぶ声が高まっていた。そのような状況下でなぜ、日本は原子力の「平和利用」路線を歩んでいくことになったのか。メディアは原発の安全神話形成にどうかかわったのか。2011年10月から40回に渡って朝日新聞夕刊で連載された「原発とメディア 『平和利用』への道」の20〜40回分を収録。

◇広島に原子炉を
◇正力松太郎、国政に進出
◇米国の世界戦略のもとで
◇田中慎次郎の警告
◇原子力博に36万人
◇のみ込まれた慎重論
◇原水爆時代の原子力博
◇広島で原子力博
◇原子力施設、茨城に
◇「原子の火」ともる
◇「廃液飲んでも大丈夫」
◇漂流する関西原子炉
◇公開討論会でやらせ?
◇原子炉近くに小学校
◇ある地方紙社長の変心
◇疑問振り切り、建設へ
◇疋田桂一郎の原研ルポ
◇新聞協会、欧米視察団を派遣
◇増殖炉の開発に備えよ
◇安全性の広報に努力せよ
◇ビキニ事件を忘れるな


広島に原子炉を

 1955(昭和30)年元日、読売新聞は1面に「米の原子力平和使節」を日本に招くという社告を掲げた。世界初の原子力潜水艦ノーチラス号を建造したゼネラル・ダイナミックス社の社長を迎えて、日本の実業家らに、原子力産業への進出を促そうという狙い。読売は「平和利用」キャンペーンを大々的に繰り広げた。
 1月4日、ビキニ事件の漁業被害などをめぐって日米両国は、米国が日本に200万ドル(7億2千万円)を支払うことで合意した。日本政府の要求額は約400万ドル。米国は事件の責任を認めないまま、この見舞金で収拾を図った。
 1週間後の1月11日、米国は日本に原子力発電に使われる濃縮ウランの提供を提案した。しかし、この事実は公表されず、3カ月後の朝日新聞(4月14日付)のスクープでようやく明るみに出た。
 見舞金と濃縮ウラン提供の間に一種の取引があったのではないか、との疑念が浮かぶが、公開の外交文書などでそれを裏付けることはできない。第五福竜丸の元乗組員大石又七(77)はこう語る。
 「日本は、見舞金で譲る代わりに、原子力で米国の協力を取りつけたのではないでしょうか。われわれ当事者としては、原子力開発の人柱にされたような思いです」
 55年1月27日、米下院議員イエーツが「米国の資金で広島に原子炉を建設しよう、キリスト教的な善意の恒久的な記念塔となるだろう」と議会で演説。翌日の読売新聞が1面トップで肯定的に報じた。
 原水爆禁止運動広島協議会は29日、(1)原子炉は原爆製造に転用可能で、広島が次の戦争の軍事目標になる恐れがある(2)「死の灰」が市民の健康をむしばむ(3)原爆の償いをするなら原爆症患者の治療に力を貸せ、などの声明を出した(30日付毎日新聞)。
 東北大教授(電子工学)の浜田成徳は、2月12日の朝日新聞「論壇」欄で訴えた。
 「たとえ何万キロ(ワット)の原子力発電所を無条件でちょうだいしても、日本人が受けた深傷(ふかで)はいえないであろう」
 結局、イエーツは「ほかに適当な場所があればそこでも結構だ」と述べて、提案を取り下げた(2月12日付読売新聞夕刊)。


正力松太郎、国政に進出

 1955(昭和30)年2月27日の総選挙で、「原子力の平和利用」を公約の柱に掲げた無所属、新人候補が富山2区で当選した。日本テレビ社長で読売新聞社主の正力松太郎、当時69歳だった。
 正力は、23(大正12)年に起きた摂政暗殺未遂事件(虎ノ門事件)で警視庁警務部長を引責辞職。部数5万の読売新聞社を買い取って社長に就き、大新聞に育てあげた。その正力が「平和利用」に着目したのはなぜか。
 正力の腹心だった柴田秀利が「(米)国防(総)省の人間」と自称する「D・S・ワトスン」と会ったのはビキニ事件のあとだった(柴田「戦後マスコミ回遊記」)。原水爆禁止運動が盛り上がっていたころというから、54年秋とみられる。原水禁運動を抑えるのに「妙案はないか」とワトスンに尋ねられ、柴田は数日後、こう答える。
 「原子力は双刃(もろは)の剣だ。原爆反対を潰(つぶ)すには、原子力の平和利用を大々的に謳(うた)い上げ、それによって、偉大な産業革命の明日に希望を与える他はない」
 柴田は、原子力潜水艦を建造した米ゼネラル・ダイナミックス社の社長ホプキンスを読売が日本に招くよう動く。ホプキンスが受諾して「革命的な原子力時代の幕開きを目前にしたとき」に正力は突然、選挙への出馬を言い出した。「原子力の平和利用」は、選挙や政治活動に利用できると踏んだのだろう。当選後、正力は語った。
 「原子力を平和産業に活用するよう各国へ呼びかけ、おそろしい戦争の不安を解消するよう努力する」(55年3月1日付朝日新聞富山版)
 読売はその後「原子力の平和的利用は人類に与えられた特別の恩恵であり任務である」と社説(4月18日付)で主張。「原子力研究・遅れを取戻(とりもど)せ」(5月1日付)、「目で見る『原子力平和利用』」(8日付)などの特集記事を掲載した。この間、財界人を中心に原子力平和利用懇談会を発足させて正力が世話人代表になった。
 来日を前にホプキンスは、読売のインタビューに答えて語った(4月30日付)。
 「大体において放射能の危険は誇張されていると思う」「(平和利用は)兵器と違って失敗はない・・・

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