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朝日新聞社

プロメテウスの罠〔2〕 研究者は辞表を出して現場に飛び込んだ

初出:2011年10月17日〜11月6日
WEB新書発売:2011年12月22日
朝日新聞

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 人類に火を与えたとされるギリシャ神話の神族の名を冠した朝日新聞の好評連載「プロメテウスの罠」。第2シリーズ「研究者の辞表」は、情報は誰のものかを考える。2011年10月から本紙総合面で掲載した全21回をWEB新書化。

第1章 測定、まず僕が行く
第2章 家人には一切いわず
第3章 雨がっぱとゴム長
第4章 「これは棄民だ」
第5章 放射線量も赤裸々に
第6章 車から出てこいって
第7章 教えない、貸さない
第8章 「箝口令」と呼ぶ文書
第9章 暴力団からスカウト
第10章 伝える、それが救う道
第11章 ピンポイントの指示
第12章 いきなり同心円避難
第13章 送られなかった167枚
第14章 二つの「やらねば」
第15章 官邸独断、室内は騒然
第16章 「目の前にいたんだ」
第17章 来なかった官僚たち
第18章 置き忘れたファイル
第19章 「布団かぶれーっ」
第20章 「世界で初めてです」
第21章 いつの日か田植えを


第1章 測定、まず僕が行く

 2011年3月11日午後。地震の瞬間を、木村真三(44)は川崎市にある労働安全衛生総合研究所で迎えた。
 研究所員の木村は、放射線衛生学の専門家。医師や看護師の被曝(ひばく)調査や、チェルノブイリ事故の現地調査に取り組んでいた。
 大きな揺れの後、木村はテレビに駆け寄って「原発どうなった!」と叫んだ。大丈夫、とテレビは報じていた。千葉県市川市に住む家族とは翌日の午前2時まで連絡が取れなかった。
 翌12日は土曜日だった。家族と会うことができ、午後は3歳の長男と買い物に出かけた。家に戻ると、妻がいった。「原発が爆発した」。瞬間、木村は反応していた。スーツに着替え、長男に「お父さん、しばらく帰ってこないから」と告げた。
 研究所に戻って現地入りの準備をした。住民を放射線から守るにはまず測定しなくてはならない。それには速さが求められる。時間がたてばたつほど測定不能となる放射性物質が増える。急ぐ必要があった。
 準備を急ぎながら、木村は最も信頼する4人の研究者にメールを出した。京大の今中哲二、小出裕章、長崎大の高辻俊宏、広島大の遠藤暁。
 「檄文(げきぶん)を出したんです」と木村は振り返る。
 「いま調査をやらなくていつやるんだ。僕がまずサンプリングに行く。皆でそれを分析してくれ、と書きました」
 えりすぐりの人たち、と木村はいう。
 「全員、よし分かったといってくれました。一番返事が早かったのは小出さんです。私は現地に行けないけれども最大限の協力をします、と。あとの人たちからも次々と返事がきました」
 木村はその檄文を七沢潔(54)ら旧知のNHKディレクター3人にも回した。測定したデータを公表する手段が要る、と考えていた。
 じきに携帯電話が鳴った。七沢だった。七沢は七沢で知り合いの研究者と連絡を取りまくっていた。七沢はいった。「特別番組を考えている。協力してくれないか」
 11年3月13日に市川で七沢と会った。打ち合わせを終えて七沢と別れたとき、携帯に研究所からの一斉メールが入った。研究所は厚生労働省所管の独立行政法人。文面にはこうあった。
 〈放射線等の測定などできることもいくつかあるでしょうが、本省並びに研究所の指示に従ってください。くれぐれも勝手な行動はしないようお願いします〉
 研究所に放射線の専門家は自分しかいない。これは自分に向けて出されたメールだ。木村はそう思った。自分の現地入りをとめるつもりだ、と理解した。


第2章 家人には一切いわず

 木村真三(44)は、1999年に起きた茨城県東海村の臨界事故を思い出した。
 当時、木村は千葉市にある放射線医学総合研究所に勤めていた。同僚とすぐ調査に行こうとしたが、許可が出ない。休日に有志で周辺を調査し、本格的な調査に向けて根回しを始めた。と、上司から「余計なことをするな」と大目玉を食らう。
 「11年3月13日のメールを見て放医研のときと同じだなと思いました。同じことを繰り返したら死ぬまで、いや、棺おけに入っても後悔する」
 出した結論は、労働安全衛生総合研究所を辞めることだった。
 「家人には一切いわず、すぐ研究所に行って総務課長の机の上に辞表を置いてきました・・・

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