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社会・メディア
朝日新聞社

人間の文明が、人間の存在を脅かす 「リスク社会に生きる」

初出:2011年12月30日〜2012年1月8日
WEB新書発売:2012年7月6日
朝日新聞

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 3・11は、私たちの社会がリスクと隣り合わせにあることを実感させた。国任せは通じず、自分の安心のルールを求め、一人ひとりがもがいている。人々の迷いや気付き、模索を追ったシリーズ「リスク社会に生きる」。2011年12月末から翌1月8日まで、朝日新聞社会面などで掲載。

◇序章 放射能が列島を分断する
◇第1章「去」 放射能から自衛、日本を脱出
◇第2章「残」 村ほっとけねえ、不休の見回り
◇第3章「波」 「想定外」に立ちつくす
◇第4章「円」 破綻恐れ、カネ・ヒト漂流
◇第5章「守」 機械も人には及ばない
◇第6章「働」 「安く・速く」すり減る人
◇第7章「目」 企業脅かす世間の評判
◇第8章「縁」 つながりたい、誰かと
◇終章 人の心と科学の距離


序章 放射能が列島を分断する

 東京電力福島第一原発から千キロの佐賀県武雄市役所。2011年11月末、千件を超えるメール、電話が殺到した。
 「安全な九州を守って」。被災地のがれきを受け入れるという市長の方針に向けられた抗議は、ほとんどが県外からだった。
 「離れている方も声をあげて」。首都圏からネットで抗議を呼びかける人々もいた。匿名の脅迫もあり、市長は数日で方針を撤回した。被災地でボランティアを経験した市議は言う。「なんで部外者が口出しをするのか」
   ◇
 不安は家族をも分かつ。
 原発から230キロの東京都目黒区。「夫を置いて西日本へ逃げたい」と4歳の男児の母親(28)は思う。
 原発事故が生活を変えた。幼稚園に通う息子に常に二重のマスクをさせ、晴れていても雨がっぱを着せる。帰宅後はすぐにシャワーを浴びさせ、ペットボトルの水で全身を洗い流す。
 「そんなことやめろ」と夫は言う。けんかはときに、3時間に及んだ。「どうせ分かってもらえない。夫にはもう何も言わない」
 人々は福島を避ける。
 原発から66キロの福島県須賀川市。安全な農作物の直販を売りにしてきた農業生産法人「ジェイラップ」は原発事故後、注文が半分に減った。
 この秋収穫した米や野菜に含まれる放射性物質は、日本より厳しいウクライナの基準を大きく下回った。だが顧客はまだ戻らない。「福島産というだけでブレーキを踏まれる」。伊藤俊彦社長(54)は嘆く。
 不安と科学はすれ違う。
 「この本、中身は間違ってると思います」。11年11月下旬、放射線医学のある研究者は、京都市での講演会で、内部被曝(ひばく)の危険性を訴えてベストセラーになった書籍に大きな赤いバツを重ね、スクリーンに映した。
 だが、その著者に直接、議論を挑む気はない。「何を言っても分からない人はいる。そういう人を納得させるのは無理だ」
 歴史は繰り返す。
 東京都杉並区に住む岡田良子さん(70)は最近、亡くなった母、明子さんの半世紀前の姿を思いだす。
   ◇
 1954年、ビキニ水爆実験で「第五福竜丸」が被曝し、魚の放射能汚染に関心が集まった。「子どもを守りたい」と母たちは署名運動に打ち込み、原水禁運動として全国に広がった。
 周囲の視線は、決して温かくはなかった。深夜まで署名の確認作業を続ける母を、父親は「バカなことをするな」と叱った。その姿が、悩み惑う今の母親たちとどこか、重なる。
 普段から台所に立つ母親だからこそ感じる不安がある、と思う。事故を防げなかった国に安全を任せていいのか、とも。
 「怖いと思ったら、怖いって言う。それも大事じゃないですか」


第1章「去」 放射能から自衛、日本を脱出

 3・11は、私たちの社会がリスクと隣り合わせにあることを実感させた。国任せは通じず、自分の安心のルールを求め、一人ひとりがもがいている。人々の迷いや気付き、模索を追う。

 2011年末、急に冷え込んだ。芝生や木々を雪が覆い、れんが造りの家の煙突から黒い煙が上がる。
 ドイツ・ミュンヘン市内の幼稚園からの帰り道、防寒服にくるまれたレイヤちゃん(4)は、母の照実さん(39)に雪玉をぶつけて歓声をあげた。
 幼稚園やスーパーがある駅から自宅まで歩いて約15分。コンビニもない。
 東京電力福島第一原発の事故を機に日本を離れて、9カ月がたった。照実さんはドイツ語をほとんど話せない。家や学校の手続きもわからないことばかり。レイヤちゃんは一時、人が変わったように聞き分けがなくなった。
 天窓を、重たい雪が打つ。食卓の上の小さなノートパソコンに、東京に残ってラジオDJなどの仕事を続ける夫のサッシャさん(35)の姿が映る。
 インターネット電話を通じて届くパパの声。レイヤちゃんがはしゃぐ。少しは寂しさがまぎれる。でも、パパのぬくもりはない。


 時差8時間、9千キロ離れた東京の自宅で、パソコンに娘の気配を感じながら、サッシャさんは眠りについた。
 ドイツ人の父と日本人の母の間に生まれ、10歳ごろまでドイツで暮らした。日本に移住した直後の1986年、チェルノブイリ原発事故が起きた。
 旧ソ連は当初、事故発生の事実すら隠した。ドイツに住む親類は長い間、不安な毎日を過ごし、今もキノコやイノシシを食べられない地域がある。
 震災の翌日、車に布団を積みこみ、西を目指した。「できれば国外へ」「国内へ残る方は安定ヨウ素剤を配ります」「首都圏に長い滞在はお勧めしません」。ドイツ大使館や友人から、メールで続々と情報が届く。
 「確認中です」「全力を尽くします」「ただちに健康に影響はない」。日本の報道は、政府や専門家の言葉を伝えていた。
 子どもを守るには、一時的にでも日本を出た方がいい。そう判断し、ドイツに飛んだ。その後、首都圏でも放射線量が高い場所が見つかり、食品や水道水からも検出された。
 「健康に影響がない」というが、本当だろうか。不信感が募り、母子だけドイツに残す道を選んだ。離ればなれになる代償を払っても。
    ◇
 福島の事故は、ドイツを動かした・・・

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