【お知らせ】WEB新書は閉店しました。

社会・メディア
朝日新聞社

原発とメディア〔4〕 「容認」の内実(下)

初出:2012年1月4日〜1月31日
WEB新書発売:2012年2月24日
朝日新聞

このエントリーをはてなブックマークに追加

 「原発に反対という立場で原稿を書いてはいけないのか」「そういう質問が出るとすれば、その通りだと答えるほかない」。1970年代、安全性をめぐって論議のある原発について、朝日新聞は基本的に容認の立場をとった。その「内側」には何があったのか。2011年12月から38回に渡って朝日新聞夕刊で連載された「原発とメディア 容認の内実」の20〜38回分を収録。

◇第1章 激論、共同研究班
◇第2章 だれのために闘うのか
◇第3章 「原発内部を撮らせて下さい」
◇第4章 原発内部をカメラ取材
◇第5章 伊方訴訟、住民側敗れる
◇第6章 推進と反対のはざまで
◇第7章 科学技術はだれのものか
◇第8章 スリーマイル島原発で事故
◇第9章 事故の教訓
◇第10章 福祉のための原子力
◇第11章 社論は「イエス・バット」
◇第12章 記者たちの戸惑い
◇第13章 読売の巨人、朝日の科技庁
◇第14章 必要条件か、努力目標か
◇第15章 実態暴いたルポライター
◇第16章 元日の1面をねらえ
◇第17章 「部長が、つかまりません」
◇第18章 いわき支局の決断
◇第19章 春の日差しの中で


第1章 激論、共同研究班

 1977(昭和52)年2月、朝日新聞調査研究室は、東京、大阪、西部、名古屋の各本社から計5人の記者を集めて「原子力共同研究班」を発足させた。目的は(1)原子力発電に詳しい記者の養成(2)社内用の手引書の作成――の2点。キャップは科学部の大熊由紀子だった。
 大阪本社社会部からは、原発の安全性を争点とする伊方訴訟の取材にあたってきた当時32歳の泊次郎(67)が参加した。
 泊は初日、科学部の部会に呼ばれた。
 「君は原発を危険なものと考えているらしいが、それは間違いだ」
 そんな声が飛んできた。
 研究班は、発足から2カ月間、専門家を招いての勉強会や日本原子力産業会議の年次大会参観、茨城県東海村の原子力施設取材と、忙しい日々を送った。
 4月8日には、当時57歳の論説委員、岸田純之助(91)から話を聴いた。岸田は46年入社。主に科学朝日編集部で20年近く取材活動にあたったあと、68年に論説委員になり、以後、原子力社説を書いてきた。
 「イエス・バットだ」
 研究の開始にあたって、岸田が言った。
 「原子力発電は容認する。しかし、それには厳しい条件がある。軍事転用しないこと、安全性と経済性を確立すること……」
 イエス、バットのどちらに力点をおくのか判然としなかった。岸田が去ったあと、記者たちの間で激論となり、再び岸田に説明を求めた。
 「もちろん、バットだ。手放しで推進に賛成しているのではない」
 ただし、泊によると、バット以下の条件が満たされない時はイエスがノーにかわるのかどうか、その点はあいまいだった。
 その後、研究班は手引書の原稿を分担執筆した。泊は「原子力発電と安全性」の章を担当。伊方訴訟の原告側の準備書面を精読して、原発の問題点を指摘した。
 6月、各自の原稿を持ち寄り、読み合わせをした。気づいた点を互いに指摘し、納得の上で修正を加えて原稿が完成した。
 ところが、ゲラが出てきてみると、泊が書いた章は大幅に改変されて、原発の安全性が強調されていた。泊は、署名を入れることを断った。


第2章 だれのために闘うのか

 「朝日新聞は、大熊由紀子記者の本『核燃料』をどう考えるのか」
 「最近は原発推進派に好意的な記事が目立つ。いつから転向したのか」
 1977(昭和52)年5月1日付朝日新聞「読者と朝日新聞」欄に、そんな趣旨の質問が載った。
 科学部長木村繁(当時44歳)が答えた・・・

このページのトップに戻る