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朝日新聞社

東日本大震災1年 「あの日母が逝き、我が子が生まれた」

初出:2012年3月4日〜3月11日
WEB新書発売:2012年4月26日
朝日新聞

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 倒れた木々の根元から、新たに伸びる若芽を「ひこばえ」と呼ぶ。多くの命が失われた震災から1年。被災地のいまと、これからを、この地で命を授かり、精いっぱい生きる子どもたちや、若者の姿を通じて見つめたい。2012年3月4日から朝日新聞社会面で掲載された特集「生きる 東日本大震災1年」より。

◇第1章 いのち受け継ぐ
◇第2章 あの日、母になったから
◇第3章 旅立つか残るか、18の春
◇第4章 走れ走れ、希望もぼくも
◇第5章 あの時のかくれんぼ、また
◇第6章 「浪江っ子」たくましく
◇第7章 畑守るため、踏ん張る
◇第8章 家族の声が聞こえた
◇第9章 巣立つ 約束の場所から


第1章 いのち受け継ぐ/あの日母が逝き、我が子が生まれた

 2011年3月11日は悲しみの日でもあり、喜びの日でもある。岩手県宮古市の下沢悦子さん(33)にとっては。
 あの日、地震のわずか30分前、同市の病院で娘のさくらちゃんは生まれた。強い揺れに襲われたのは体重を量っている時だった。屋上に逃げると、黒い波が町を襲っているのが見えた。
 同じ日、この津波が、母の命を奪った。木村たえ子さん。58歳だった。
 悦子さんは、母のたえ子さんと過ごした記憶がない。生まれてすぐに両親が離婚し、父方の親類に育てられた。震災の3カ月前、宮古駅前のバス停で偶然出会ったのは、運命だったのかもしれない。
 「えっちゃんだよね。お母さんのたえ子です」
 ずっと捨てられたと思っていた。驚きよりも、自分のことを覚えてくれていたことがうれしかった。
 母は再婚し、海の近くで暮らしていた。「春に赤ちゃんが生まれたら遊びに来て」と話した。それが、最初で最後の約束になった。
 震災から1カ月後、親類から母の死を知らされた。夜、布団の中でさくらちゃんを抱いて泣いた。
 秋、初めて母の再婚先を訪ね、話を聞いた。「いつも笑顔で勝ち気だった」。写真を見せてもらい、自分の目元や口元は母そっくりだと改めて思った。0歳なのに負けず嫌いにみえる娘の性格は、たえ子さん譲りかもしれない。
 さくらはお母さんの生まれ変わりかな。悲しい気持ちが少し、ほぐれた。
 夫の大樹(ひろき)さん(25)は地元の葬祭会社で働き、震災後にたくさんの弔いをみた。いま、家々で一周忌の法要が営まれている。
 たくさんの命がなくなった同じ日に、新しく生まれた命がある。その意味を、大樹さんは毎日のように考える。さくらも自分も生きているから、僕は父親になれた。当たり前のことだけど奇跡みたいだな、と。
 アパートで、さくらちゃんがおぼえたばかりの伝い歩きをする。その小さな背を、悦子さんは大樹さんと一緒に見つめた。死者1万5854人、行方不明者3276人。それでも被災地に再び春はめぐってくる。
 あの日の別れは忘れられない。でも、この子のために、自分のために、私は生きる。


第2章 あの日、母になったから/幸せと言える未来あげたい

 部屋には、真新しいひな人形が飾られている。
 「仮住まいだけど、初節句だからちゃんとお祝いしないとね」。福島県いわき市の県営住宅の居間で、星山真弓さん(31)は長女の琉菜(るな)ちゃんに語りかけた。
 娘が大きくなったら、あの日に起きたことを、どう説明しよう。真弓さんはまだ、答えが見つからない。
 11年3月11日、同県双葉町の双葉厚生病院にいた。東京電力福島第一原発から約4キロの距離で、病室から排気筒が見えた。地震後の混乱の中、午後6時49分、帝王切開で長女を出産した。
 翌日の早朝、警察官が病院に駆け込んできた。
 「原発が危ない。至急避難を」。タオルにくるんだ琉菜ちゃんを抱き、言われるままにバスに乗った。夕方、やっと福島市内の病院にたどり着いたとき、テレビ画面に映っていたのは、水素爆発で建屋が吹き飛んだ第一原発だった・・・

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