東海道新幹線「のぞみ」は2012年3月で20周年を迎えた。誕生から12年登場予定の新型車両N700Aに至る変遷と逸話をたどる。2012年3月3日から14日まで、全10回にわたって朝日新聞夕刊で掲載された特集「のぞみ20年」より。
◇第1章 〈デビュー〉 一番列車 名古屋飛ばし
◇第2章 〈回数券発売〉 VS.空路 一転し割引攻勢
◇第3章 〈自動改札機導入〉 車内検札やめない訳は
◇第4章 〈雪害監視システム〉 19台のカメラから動画
◇第5章 〈食堂車廃止〉 パーサーの役割拡大
◇第6章 〈プラレール一新〉 「本物」追究 訓練に活用
◇第7章 〈品川駅開業〉 幻の「始発4本」構想
◇第8章 〈双子姉妹の入社式〉 名前が縁 運転士目指す
◇第9章 〈無線LAN開通〉 車内外にデジタル効果
◇第10章 〈N700A登場へ〉視線、スピードの先に
東海道新幹線「のぞみ」が2012年3月14日で20周年を迎えた。誕生から2012年登場予定の新型車両N700Aに至る変遷と逸話をたどる。
「のぞみ」の一番列車が、ゆっくりと名古屋駅の17番ホームに姿を見せた。だが、止まることなく、通り過ぎた。
1992年3月14日、午前7時40分。新時代の幕開けのはずだったが、東海地方では屈辱の「名古屋飛ばし」として記憶に刻まれた。64年の東海道新幹線開業以来、初めて通過駅となった瞬間だった。
12年1月のメ〜テレ報道特番では、視聴者が選ぶこの50年の「社会&政治経済」ニュースで、「名古屋飛ばし」は13位。戦後初の愛知県出身首相となった海部俊樹氏の就任(16位)より上位だった。
当時、のぞみは1日4本。始発以外は名古屋駅に停車した。なぜ1本だけが通過したのか。
JR東海によると、東海道新幹線は営業終了後、線路を支える砂利を1〜2キロごとに交換する。作業後はしばらく地盤が固まらず、早朝は減速が必要だった。
新生のぞみの売りは「東京―新大阪2時間30分」。始発は「東京を朝出て大阪の始業時間に間に合う」というスピードが魅力だったが、1駅停車すれば5分のロス。朝に名古屋から大阪へ向かう客は少なく、同じ時間帯に「ひかり」もある。JR東海は「影響はない」と判断した。
だが、地元の心情は読めなかった。「通過」が報じられると、各界から不快感の表明が相次いだ。愛知県出身で、元民社党委員長の塚本三郎氏や、当時公明党委員長の石田幸四郎氏ら国会議員も超党派で結束、撤回を迫った。
作家の諏訪哲史さん(42)は「名古屋は、中京を自称しつつも、東京・大阪ほどの求心力はないと悟っていた。それを時刻表ではっきり突きつけられ、焦りが出た」と20年前の空気を振り返る。
当時、バブル景気のまっただ中。マイケル・ジャクソンやマドンナら大物外国人タレントが相次ぎ来日したが、集客施設に乏しい名古屋では公演せず、東京や大阪、あるいは福岡などに限ることが多かった。
88年の五輪誘致でソウルに敗れ、堅実なものづくり気質からバブルの熱狂に乗れず、都市間競争に乗り遅れたという劣等感があった。「名古屋飛ばし」はその傷口に塩を塗り込んだ。
当時愛知県知事だった鈴木礼治さん(83)は「JR東海が『名古屋駅に止めさせてください』と言ってくるような地域に発展させると心中で誓った」と話す。
保線技術の進歩で減速が必要なくなり、のぞみ始発列車が名古屋駅にも止まるようになったのは5年後の97年。この年、4万人を収容するナゴヤドームが完成。05年の愛知万博開催が決まり、政府予算に中部空港の着工費が計上された。呪縛から解かれたように、不況風が吹く日本で「元気なナゴヤ」と呼ばれるまでになっていく。
1993年12月1日、東海道新幹線「のぞみ」の回数券が売り出された。運行開始から1年半、のぞみだけは割引を一切しない強気の姿勢を貫いてきたJR東海が、折れた。
東京―新大阪を2時間半で結ぶことにこだわったのは「航空機をライバル視していた」とJR東海幹部。空港への移動や待ち時間を合わせると、所要時間は等しくなった。
だが、ビジネス客に敬遠され、客はなかなか奪えない。当時の東京―新大阪間の特急料金は・・・
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東海道新幹線「のぞみ」は2012年3月で20周年を迎えた。誕生から12年登場予定の新型車両N700Aに至る変遷と逸話をたどる。2012年3月3日から14日まで、全10回にわたって朝日新聞夕刊で掲載された特集「のぞみ20年」より。[掲載]朝日新聞(2012年3月3日〜3月14日、7100字)
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