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朝日新聞社

瀬戸内海 島時間 「島にしかないものがある」

初出:2012年1月1日〜1月14日
WEB新書発売:2012年6月29日
朝日新聞

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 岡山県の海には87の島が浮かぶ。1秒1日がゆっくりと流れる場所。初めて行くのに、どこか懐かしい場所。つながり、助け合い、育ててゆく。六島、前島、石島、白石島、黒島、真鍋島、北木島、高島、頭島…、島時間に生きる人たちを訪ねた。朝日新聞岡山版に掲載された連載「島時間(全11回)」から。

◇島時間 生きる、ここで 
◇第1便 六島(むしま)――花咲かおじさん
◇第2便 前島(まえじま)――帰ってきた若大将
◇第3便 石島(いしま)――分校最後の生徒
◇第4便 白石島(しらいしじま)――「マンナリエ」
◇第5便 黒島(くろしま)――最後の住人
◇第6便 真鍋島(まなべしま)――走る、お母ちゃん
◇第7便 北木島(きたぎしま)――元球児の石職人
◇第8便 高島(たかしま)――飛んだIT技術者
◇最終便 頭島(かしらじま)――高校3年生
◇臨時便 ちょっと寄り道


生きる、ここで

 1秒1日がゆっくりと流れる場所。初めて行くのに、どこか懐かしい場所。つながり、助け合い、育ててゆく。島という家族を、生きる人たちがいる。そんな人たちを訪ねてみたい。島時間の中へ。


見ていたい。光の道
 「島にしかないものがある」
 寺田祐太佳(ゆたか)さん(27)は言い切る。
 2010年の春、7年ぶりに前島に戻った。実家の民宿を手伝い、毎朝、漁に出る。エプロンに長靴。髪だけはワックスでバッチリ固める。
 島にコンビニはない。カラオケもない。島の外に出たくても、午後10時以降は船がない。
 以前は嫌で仕方なかった。道で会えば長話を始める島民たちも。潮の強い香りも。
 どっぷりと生活して、見る目が変わった。朝とったばかりの魚の味。色彩豊かな景色。「島って、こんなによかったっけ」。島で生きていこう。そう決めた。
 寺田さんの民宿から太陽が沈むのを見た。海がオレンジに染まり、夕日に輝く光の道が生まれた。空は少しずつ赤みを強め、やがてしっとりと群青色に変わっていく。
 「ずっと見てたくなるでしょ」
 寺田さんが誇らしそうに笑った。


あきらめない。花の丘
 島が見えた。
 笠岡港から小型客船で1時間15分。島々を抜けた先、県最南端にある六島(むしま)。周囲わずか4・3キロ。約80人が暮らす。
 集落を抜けると、海沿いの道から灯台の白い頭がぽっかり見えてきた。島の沖は瀬戸内交通の要衝。行き交う大型タンカーや客船を、この県内最古の灯台が導いてきた。
 島には昔から水仙(すいせん)が自生していたという。島民たちはいま、灯台へ続く丘に水仙の球根を集め、育てている。もう20年。冬には数万本がうつむき加減に白い花弁を海へ向ける。灯台に近づくにつれ、甘い匂いがほのかに漂う。
 昭和30年代初めには600人が暮らした。いまは8分の1に減った。多くは漁師。元船員や、会社を退職して島に戻った人もいる。65歳以上が5割と超高齢化が進み、2003年には六島小学校が休校した。
 だが、島に再び、子どもの声が響き始めた。
 30代家族が子どもを連れて島に戻ったのは04年。島民とNPOが保育園・幼稚園代わりの「あゆみ園」を06年に開き、翌年には六島小も再開した。いま、園児4人、小学生4人が通う。
 子どもたちの姿を見ながら、中尾重規さん(59)は水仙を植え続ける。島民はこれからも減るだろう。でも、島で生きることをあきらめない。そんな思いが届けばいい、と願いながら。
 1月。丘の斜面が白に染まり、島が一番華やぐ季節。もうすぐ、水仙は満開になる。



〈1時26分〉北木島
 島が動き出す。漁港では昼間とれた魚を箱詰めにし市場への出荷準備。朝はまだ先だ。


〈8時15分〉真鍋島
 笠岡港から初便が着いた。小中学校の先生や郵便局員が、桟橋を渡って出勤する。


〈9時10分〉高島
 ゴミ収集車がフェリーで到着。週2日、島を一巡してゴミを集め、船に戻っていく。


〈12時33分〉六島
 児童4人が通う島唯一の小学校では、島民が給食を作る。図書室で「いただきます」。


〈13時29分〉黒島
 波の音が響く畑。キャベツの育ち具合を確かめる。三が日が終われば、さあ、出荷だ。


〈16時57分〉頭島
 放課後。牡蠣(かき)の養殖に使うホタテの貝殻を連ねた「バンガラ」横が、いつもの遊び場。


〈22時15分〉前島
 牛窓港から最終フェリーが到着。5分の距離。車が陸に上がると島の一日が終わる。



■人口
 岡山県の海には87の島が浮かぶ。うち18島に3200人が暮らす。20年前に比べて半減した。若い人が去り、お年寄りが残された。65歳以上が58・7%(県調べ、2011年3月)を占める。県平均(約25%、09年10月)の倍。多くは、漁業、観光業、海運業に生きる。

■生活
 18島のうち、13島に定期船が運航する。診療所は10カ所、歯科診療所は2カ所、郵便局は6局ある。小学校7校、中学校3校。生徒が1人だったり、生徒より教職員が多かったりする学校も。全島に電話回線があるが、上水道は14。残りは井戸水などでしのぐ。

■自慢
 日生諸島の頭島では年間約1114トン(10年)の牡蠣を生産。前島は標高130メートルの展望台から見る「日本の夕陽(ゆうひ)百選」の夕景が自慢だ。白石島の国際交流ヴィラには1157人(10年度)の外国人観光客が訪問。北木島からは年約440トンの石が出荷される。


第1便 六島(むしま)――花咲かおじさん/見においで 満開の白

 細い坂道を登ると、突然、目の前がひらけた。
 丘の斜面に、無数の白が散っていた。右を見渡しても水仙(すいせん)。左を見渡しても水仙。海からの風に、花弁がいっせいに揺れる。
 先に、小さな灯台が建つ。県最南端。海を挟み、すぐそこは四国だ。
 六島を水仙の島に――。
 そんな「魔法」を仕掛ける花咲かおじさんたちがいる。島に自生する水仙の球根を、灯台へと続く丘に移し替えてきた。集落のみんなから見える場所に。
 もう20年になる。花畑は1ヘクタールほどに広がった。いつか灯台まで敷き詰めたい。夢はまだ広がる。


 花咲かおじさんの一人が雑草を刈っていた。
 「今年もきれいに咲いてくれたな」
 大工の中尾重規さん(59)。自治会長を務める。
 島の小学校を卒業し、家族で関西へ。自動車メーカーの工場や喫茶店で働いた。
 20歳の時、島に戻っていた父から手紙が届いた。「帰ってこないか」。母が亡くなり、父は独りになっていた。
 ほんの1年のつもりで戻った。でも……。
 結局、島を離れることはなかった。
 信号一つない、のんびりとした時間の流れ。重い荷物を持つ年寄りがいれば、必ず手を差し伸べる人々。新築工事ではみんなが材木運びを手伝ってくれた。
 今から考えると、都会のリズムが合わなかったのかな、とも思う。
 「やっぱり、島が好きなんやろうね」
    ◇
 夕刻。花咲かおじさんたちが港近くの空き地に集まってくる。元船員で島の郵便配達を受け持つ三宅美津志さん(60)、17年前に神戸から移り住み、島唯一の商店を年中無休で開ける前畑繁樹さん(70)……。もちろん中尾さんも。
 10人ほどが魚とつまみを持ち寄る。木のベンチにドラム缶。手にはビールや日本酒。
 酒宴の話題は、やはり水仙だ。「今年も海から見たらきれいやで」。1月に満開を迎えると、白く染まる丘が航行する船から見えるという。
 「せっかくだから、もっと多くの人に水仙を見てもらっては」。そんな話が盛り上がり、2005年に始めたのが「水仙浴ツアー」だ。1月か2月に島外の人を招き、日帰りで散策してもらう。
 毎年、倉敷市や総社市、広島県福山市などから60〜70人が参加する。この日だけは島の人口が倍近くにふくらむ。07年からは、島外の人に一緒に球根を植え替えてもらう「植えるカム」を8月に開いている。
    ◇
 中尾さんが戻ったころ、250人ほどの島民がいた。今は3分の1に減った。集落の半数以上は空き家だ。新築工事を手がけたのは、もう3年前になる。
 先細る将来に不安がないわけではない。でも、島民みんなが一つになれれば、それが島の力になるはず。そんな思いの中心に、水仙がある。
 「水仙の丘も、完成まであと何年かかるか想像もできへん。でも、やり続ける。それが大切なんやと思う」
 島の外へ、島の気概を見せたい。
 花咲かおじさんは、また新しい花を咲かせる。



第2便 前島(まえじま)――帰ってきた若大将/見つけたよ 僕の海

 海が嫌いだった。
 べたつく潮風。まとわりつく生臭さ。毎日のように食卓に並ぶ魚。
 それが今――。
 若大将は島に帰ってきた。


 牛窓港からフェリーで5分。前島の民宿「南風荘」は海に面した高台にある。
 5部屋を家族4人で切り盛りする。漁師兼料理人は寺田祐太佳(ゆたか)さん(27)。家族から、「若大将」と呼ばれる。
 鳥取の大学に入るため、島を出たのは8年半前。卒業し、玉野市で海運会社に就職した。
 3年後、「帰って」と母に言われた。「大将」こと、祖父の元徳(もとのり)さん(81)が関節を痛め、思うように漁ができなくなったからだ。
 もう少し「まち」にいたかった。でも、父は公務員。「長男として、僕が帰らなくちゃいけない」と思った。
 2010年5月。民宿を手伝い始めた。
 じいちゃんは何も教えてくれなかった。「自分で考えてやってみんと、長続きなんてせん」
 漁も、料理も、じいちゃんの見よう見まね。網を仕掛けようとしても、絡まったり、船に引っ掛かったり。包丁なんてまともに握ったこともなかった。作ってみたタイの刺し身は骨と皮が残り、メバルの煮付けは身がボロボロ。
 「勢いで帰ってきたけど、早とちりやったかなあ」
 けど、18年暮らしたはずの島が、新鮮に見え始めた。
 例えば、目の前の海でとれる魚や牡蠣(かき)。
 「あれ? うまいな」
 島の外で食べたのより断然おいしかった。大学生やサラリーマンのころは、毎日でもコンビニの弁当やチェーン店の牛丼を食べたいと思ったのに。もう食べたいと思えなくなった。
 以前は「水があるだけ」と思っていた海。その流れや潮の満ち引きを「よむ」のも楽しくなった。
 灯がともるように、少しずつ喜びが重なった。
    ◇
 「もう、わしゃ行かん」。じいちゃんが海を離れたのは、戻って半年たったころだ・・・

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