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朝日新聞社

女川原発はなぜ助かったのか

初出:2012年3月25日〜28日
WEB新書発売:2012年4月6日
朝日新聞

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 東日本大震災の震源地に最も近かった原子力発電所は、東北電力女川原発だ。東京電力福島第一原発は史上最悪のレベルの事故に至ったのに、なぜ助かったのか。女川の「3・11」と「その後」を検証する。

第1章 外部電源、30時間1回線だけに
第2章 タービン建屋、消火に8時間
第3章 津波流入、排水完了は5日後
第4章 危機対応の前線本部が水没


第1章 外部電源、30時間1回線だけに/4回線、揺れや停電で喪失

 ゴオォォと音が響いた。
 東北電力女川原子力発電所の心臓部、中央制御室。壁際に並んだ制御盤はボルトで床に留めてある。建屋が振動する音に、制御盤と床が共振する音が加わって、大音響となった。
 2011年3月11日午後2時46分、地震発生。
 女川原発は震度6弱の激震に見舞われた。原子炉は3基ある。1号機と3号機は運転中。2号機は定期検査で起動中だった。


 桜庭達幸・発電部長は当時「原子炉主任技術者」。運転を監督する技術者で、2号機の起動を見守るため、制御建屋の中央制御室にいた。
 隣接する1、2号機の中央制御室は同じ室内にある。計12人の社員がいた。
 桜庭さんは体を机の下へ潜り込ませ、少しだけ顔を出し、上方にある1号機の制御盤を見た。
 原子炉の自動停止を知らせる赤色の警報ランプが点滅した。反対側の2号機のランプも点滅した。
 その後も揺れは続く。
 「これだけ長く揺さぶられて設備は大丈夫か。健全でいてくれよ」
 仙台管区気象台によると、大きな揺れは3分ほど続いた。
 揺れがおさまり、「はーっ」と息をついた。
 2号機の中央制御室側の天井約10カ所から蛍光灯をおおう格子状の金属板が落下。蛍光灯も落ちて、破片が散乱していた。
 1号機側では通路上の天井の化粧板が落ちていた。
    ◇
 建屋の中の放射線管理区域では309人が作業中だった。1、2号機は236人、3号機は73人。
 管理区域は放射性物質の使用場所で、入退室がきびしく管理される。汚染の危険度によってA〜Dの4段階に分け、そこでの作業内容に応じて服装を変える。
 当時、高い汚染度に対応する「C装備」はおらず、比較的低い汚染度用の「B装備」の作業員がいた。作業中に汚染される可能性もあり、放射性物質を外に出さないため、区域を出る時は脱ぐきまりだ。
 だが、3号機では、外へ出る前に全身の汚染の有無を測定する「体表面ゲートモニタ装置」6台が、地震ですべて動かなくなっていた。作業員たちは測定せずに、B装備の青色のつなぎの服のまま外へ出た。建屋の外にあるプレハブの「リフレッシュハウス」(休憩所)に集合し、線量を測定。汚染はなかったという。


    ◇
 1、2号機の中央制御室では「ウォン、ウォン、ウォン」と警報音が響き、数々の設備の異常を知らせていた。赤いランプの点滅と緑のランプの点灯。どちらも同一の警告を発していた。外部電源の遮断である・・・

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