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朝日新聞社

逃亡者オウム 17年の逃亡を支えた都会の「死角」

初出:2012年6月15日〜6月25日
WEB新書発売:2012年6月29日
朝日新聞

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 1995年の地下鉄サリン事件にかかわったとして殺人容疑などで警視庁に逮捕されたオウム真理教元信徒・高橋克也容疑者。人目の多い首都圏で17年もの長い間逃走を続けられたのはなぜなのか。また一時期行動を共にしていた菊地直子容疑者が逮捕された後、国民全員が注視する中、11日間も逃げられたのはなぜなのか。マンション、アパート、社員寮、個室ビデオ、漫画喫茶――同容疑者の足跡を詳細に跡づけるルポ。

◇第1章 急速に包囲網
◇第2章 「店に似た人いる」
◇第3章 高橋容疑者、最後の11日間
◇第4章 逃走 固い意志
◇第5章 「なりすまし社会」に潜む
◇第6章 顔 歳月経て「別人」に
◇第7章 謝罪なき日々


第1章 急速に包囲網/菊地容疑者の供述端緒

 逃走を続けてきた高橋容疑者の再逃亡を阻んだのは、逃亡生活を長年ともにした菊地直子容疑者らの供述だった。
 一連の事件で特別手配された3人のうち、2011年大みそかに出頭した平田信被告(47)は、直前まで元信者の女性と大阪府東大阪市のマンションに身を潜めていた。平田被告は菊地、高橋両容疑者とは別行動で逃亡していたとみられ、平田被告の逮捕後も警視庁は2人に結びつく有力な手がかりを得ることはできなかった。
 急転したのは、菊地容疑者に関する情報が警視庁に寄せられた12年6月3日。菊地容疑者は同日、神奈川県相模原市で発見、逮捕された。
 菊地容疑者は5、6年ほど前に高橋容疑者から離れ逮捕時は別の男と暮らしていた。菊地容疑者やこの男の供述などから、警視庁は高橋容疑者の潜伏先や勤務先を突き止めた。特別手配から17年。高橋容疑者は意外にも首都圏を中心に生活の多くを過ごしていた。
 警視庁は、12年6月4日から再び逃亡を始めた高橋容疑者の防犯カメラの映像などを連日公開して先手を打つ。そして、6月15日朝の高橋容疑者の身柄確保。「すでに死亡した」「国外に逃亡した」とささやかれていた特別手配の3容疑者による逃亡劇が、幕を閉じた。

◎サリンなど関与容疑 葛藤に苦しむ素顔のぞく
 オウム真理教で高橋克也容疑者が関与したとされる事件は、地下鉄サリン事件や東京都庁郵便物爆発事件、公証役場事務長の拉致事件など6件にのぼる。
 教団をめぐる一連の刑事裁判での教団元幹部らの証言からは、非合法活動を担いながら、葛藤に苦しむ中堅信者という「素顔」がのぞいていた。
 高橋容疑者は横浜市内の工業高等専門学校を卒業後、電機部品工場などで働き、1987年7月に出家。柔道をしていた時期があり、教団では当初、元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(57)の警備を担当した。
 94年6月に、教団が国家制度を模して、外務省や大蔵省などからなる「省庁制度」を導入した後は、非合法活動を取り仕切る「諜報(ちょうほう)省」に所属。教団による多くの犯罪に関与した諜報省トップの井上嘉浩死刑囚(42)の補佐役になり、運転手などとして行動をともにした。
 95年3月の地下鉄サリン事件では車を調達。散布役の豊田亨死刑囚(44)を地下鉄の駅まで車で送るなどしたとされる。豊田死刑囚の法廷での証言によると、車から降りて駅に歩いていく際に高橋容疑者から、豊田死刑囚は「気をつけて」と声をかけられたという。
 教団が敵視する人物らを化学剤のVXで襲撃したり、殺害したりした3事件にも関与したとされる。
 重要な役割を担ったとされるのが95年2月の東京・目黒公証役場事務長拉致事件だ。教団幹部らが背後から襲いかかって拉致した事務長(当時68)を山梨県の旧上九一色村の教団施設で監禁し、薬物の過剰投与で死なせた後、遺体を焼き、骨を硝酸で溶かして同県の本栖湖に捨てた。高橋容疑者はそこにかかわったとされる。
 「被害者の遺体を処理したことに葛藤があって、オウムに対する不満を言っていた」。高橋容疑者について、井上死刑囚は公判でそう証言していた・・・

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