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朝日新聞社

砂上の原発 どうする地震列島に57基

初出:2012年6月28日〜7月26日
WEB新書発売:2013年2月15日
朝日新聞

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 3・11の巨大地震と大津波は福島原発に大打撃を与え、未曾有の環境破壊をもたらした。だが、津波の危険性は以前から指摘されていた。国、電力会社、原子力の専門家らはなぜ、津波を軽視したのか。なぜ、耐震設計と過酷事故対策は結びつかなかったのか。地震が多発する日本列島に多くの原発建設が建設されたルーツと科学や人間の限界をたどりつつ、後手後手にまわる地震対策のあり方を問い直す。

◇第1章 津波軽視のまま3・11
◇第2章 勘頼りの耐震強度に自信
◇第3章 「適地」のはずが活断層密集
◇第4章 災害、「過酷事故」の対象外
◇第5章 上がる揺れ想定 対策後手


第1章 津波軽視のまま3・11

 東日本大震災で東京電力福島第一原発事故が起きる20年以上前、原発が想定外の津波で被害を受ける可能性を指摘する論文が専門誌に載った。「意外と見過ごされているのが、浸水による機能障害」「計算の結果、浸水域外となったとしても、浸水の可能性が全くないわけではない」(1988年「電力土木」)
 筆者は津波工学が専門の首藤伸夫東北大名誉教授(77)。電力技術者向けの解説を頼まれて寄稿した。計算で津波の上限ははっきり決められない。想定外の津波で、電気系統や取水に影響する可能性を指摘し、過去の例が無くても対策を講じるよう求めた。
 研究の限界と対策の必要性を率直に書いただけだった。「津波は構造物だけでは防げない。原発も弱い部分に対策をとるよう言っただけなのに電力会社で『危険人物』と思われていると知人から聞いた」
 86年に旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が起き、反原発の動きが高まっていた。一方で、国や電力会社は原発の「安全神話」を作り上げ、原発建設を推し進めようとしていた。そんな時代だった。
 日本で原発の建設が始まった60年代、電力会社や国は津波のことはほとんど念頭になかった。70年に国が定めた原発の安全設計審査指針は、地震や風とともに津波を挙げていた。しかし、当時の原発の設置許可申請書には「過去に例はみられない」「被害を受けるおそれはない」と簡単にしか書かれていない。記述すらない場合もあった。
 66年に提出された福島第一原発の申請書も、60年のチリ津波の付近での観測値3・122メートルを記しただけだ。当時、プレートテクトニクスの理論は定着していなかった。計算による予測も未発達で、記録に残る過去最大の津波だけが考慮された。三陸地方は明治、昭和と繰り返し津波に襲われたが、福島では大津波に襲われた記録がなかった。
    ◇
 対策を見直すきっかけになったのは、93年の北海道南西沖地震だった。奥尻島を襲った津波は防潮堤を越え集落を破壊、多数の死者を出した。
 原子力畑の東電元役員は「津波を初めて意識したのはこの時だった。それまでは思考停止の状態だった。ただ、その後も社内ではほとんど議論はなかった・・・

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