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社会・メディア
朝日新聞社

原子力船「むつ」が来た! 原発とメディア 青森・下北半島(上)

初出:2012年5月7日〜6月6日
WEB新書発売:2012年8月24日
朝日新聞

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 1969年の原子力船「むつ」の大湊港への受け入れに始まり、東通、大間原発、核燃料サイクル施設、使用済み核燃料貯蔵施設など、全国でもまれに見る密度で「核」関連施設が集中する青森県・下北半島。30年前に青森支局員として第一線の取材に立った編集委員が、再び現地を訪ね、当時の関係者を回り、「原子力半島」の来歴を探る(上)。

◇第1章 現場に引き戻されて
◇第2章 核施設の冬景色
◇第3章 「原子力センター」構想
◇第4章 地元紙の大型連載
◇第5章 原子力船がやってきた
◇第6章 火を恐れる野獣なのか
◇第7章 首相の「おみやげ」
◇第8章 石を投げつけられた知事
◇第9章 競い合う地元紙
◇第10章 農民・漁民の中へ
◇第11章 屈辱の特ダネ
◇第12章 深まる国と地元の溝
◇第13章 東京の記者をつるしあげ
◇第14章 「むつ」の放射能漏れ?
◇第15章 現場にいたからこそ
◇第16章 長官の涙と船長の苦渋
◇第17章 社説は何を書いたか
◇第18章 誘致の裏に要請あり
◇第19章 大湊再び母港に?
◇第20章 『大芝居』で新母港へ
◇第21章 流れ変えた特ダネ
◇第22章 「海盗り」の記録
◇第23章 「むつ」廃船論から廃船へ


第1章 現場に引き戻されて

 2011年3月12日は土曜日だった。休みで自宅にいた日本テレビの倉澤治雄(59)は、朝からテレビの震災速報に見入っていた。
 午後4時49分、日本テレビが福島第一原発1号機の映像を流し始めた。建屋から白い煙が噴き上がっている。「爆発だ!」。そう直感したが、倉澤はメディア戦略局主幹。「報道の連中は大変だろうなあ」
 ほどなく社会部デスクから電話が来た。「急いで社に来てください」
 以来、解説委員(現在は解説主幹)として、ニュースや特集番組に出続けている。もともと倉澤は、東大で基礎科学を学び、フランスの大学院に留学した科学記者だ。
 この11年3月12日には、「NNNドキュメント」で「行くも地獄、戻るも地獄〜倉澤治雄が見た原発ゴミ〜」が放送された。
 冒頭、福島第一原発をヘリコプターから見ながら、倉澤が語り始める。「巨大な放射性廃棄物の塊と化しています」
 10万年も管理が必要な「原発ゴミ」をどうするのか。倉澤はあちこちに足を運ぶ。
 事故で知られる米スリーマイル島原発、廃棄物を管理するアイダホ国立研究所、再処理のために全国の廃棄物を集めながら工場が動いていない青森県六ケ所村……。
 番組の終盤、激高する青森県知事の三村申吾(56)が大写しになる。
 「最終処分場としてお引き受けすることは、まーったくありえません!」
 国の原子力委員会の新大綱策定会議。廃棄物を青森にそのまま置けば、という話に反応したのだった。「トイレのないマンション」と言われる日本の原発は、最終処分場を決めずに突っ走ってきた。脱原発の道を選んでも、この問題は残る。
 「青森に原子力行政の矛盾が凝縮している」と倉澤は言う。88年に「原子力船『むつ』 虚構の航跡」という本を出し、「むつ」の母港があった青森県むつ市や六ケ所村に通う中で、メディアの責任も感じた。
 「青森のような地方で起きていることが東京に伝えられていない。3・11を機に、メディアも変わらないといけません」
 私も82年から84年まで、朝日新聞青森支局員として原子力船問題などを取材した。現地はいまどうなったろう。


第2章 核施設の冬景色

 この冬、青森は近年珍しい豪雪に見舞われた。12年4月になっても雪が降る。そんな中を二十数年ぶりに訪ねた下北半島は、すっかり「原子力半島」になっていた。
 原子力施設の集中ぶりは、地図を見ればすぐわかる。そのどれもが、私が青森支局員だった1980年代前半にはなかった。
 12年2月、ここで一つの騒ぎが起きた。17日付で地元紙の東奥日報がこう報じた。
 「むつ科学館廃止も 国の事業見直し」
 むつ科学技術館は、原子力船「むつ」の廃船に伴い、母港があったむつ市に96年にオープンした。「むつ」の原子炉も展示している。それが廃止の可能性が出てきたのだ。12年2月22日の同紙社説はこう訴えた。
 「施設の機能や地域の実情を十分に見極めた判断なのか、疑問が残る」「単なる原子力のPR施設ではないことを国は銘記すべきだ。慎重に検討してもらいたい」
 地元がぴりぴりしている背景には、廃止論がここだけではないという事情もある。
 「原子力半島」の中核施設といえる六ケ所村の核燃料サイクル施設。ここもまた、国の原子力委員会で存廃の論議が続く。
 原発で燃やした使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し、また燃料に使う。そのための再処理工場などができているのだが、コストがかかるといった議論のほか、危険なプルトニウムへの反発も強い。
 「『青森が一番危険』 山本太郎さんらデモ行進 県庁で人間の鎖」。地元紙のデーリー東北が12年3月12日付で伝えるように、脱原発の流れが外から押し寄せている。
 地元の空気はどうか。
 「『脱原発』声上がらぬ下北」
 そんな記事が12年2月19日付朝日新聞に載った。電力会社が子供の就職の世話をするなど、「原発との共生」が進み、反対が盛り上がらない現状を報じたものだ。
 筆者は三沢支局長の鈴木友里子(27)。
 「昔は反対運動をした人でも、もう触れてくれるなという空気が強いですね」
 掲載後、鈴木に読者からはがきが来た。
 「(脱原発の声を)マスメディアは、聞いてこなかったのではないでしょうか」
 ここに至るまでに何があったのか・・・

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