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社会・メディア
朝日新聞社

核燃マネーで原子力半島化 原発とメディア 青森・下北半島(下)

初出:2012年6月8日〜7月6日
WEB新書発売:2012年8月24日
朝日新聞

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 1969年の原子力船「むつ」の大湊港への受け入れに始まり、東通、大間原発、核燃料サイクル施設、使用済み核燃料貯蔵施設など、全国でもまれに見る密度で「核」関連施設が集中する青森県・下北半島。30年前に青森支局員として第一線の取材に立った編集委員が、再び現地を訪ね、当時の関係者を回り、「原子力半島」の「これから」を探る(下)。

◇第1章 「核燃サイクル基地」浮上
◇第2章 なぜ六ケ所村だったのか
◇第3章 世論調査をしてみたら
◇第4章 無視された欧州の警告
◇第5章 似ていた全国紙社説
◇第6章 全面広告の攻防
◇第7章 知事の「哀れな道」発言
◇第8章 吹き荒れる反核燃の嵐
◇第9章 地元紙の企画協力費事件
◇第10章 地元放送局の奮闘と圧力
◇第11章 国から「核燃広報費」
◇第12章 押し戻した核燃推進派
◇第13章 原子力船「むつ」の最期
◇第14章 「核燃疲れ」に核のゴミ
◇第15章 最終処分地決まらぬまま
◇第16章 逆風突いて原子力半島化
◇第17章 地元紙の検証記事
◇第18章 浸透する「核燃マネー」
◇第19章 被災した新聞社
◇第20章 3・11後の新聞論調
◇第21章 心配する青森県出身者
◇第22章 「原子力県」に報道の力を


第1章 「核燃サイクル基地」浮上

 またもや正月のスクープから始まった。抜いたのは今度は日経。東京では1984年1月1日付だった。
 「むつ小川原に建設 政府方針 核燃料サイクル基地」
 記事の冒頭はこうだ。「政府、電力業界は青森県・下北半島のむつ小川原地区に原子力発電用のウラン濃縮から使用済み核燃料の再処理、廃棄物処理まで一貫して行う『核燃料サイクル基地』を約一兆円かけて建設することを内定した」
 これを読んで朝日の科学技術庁担当だった泊次郎(67)は「しまった」と思った。「再処理工場を青森につくる話がある」と科技庁内で耳にし、長官宅への夜回り取材でもそれらしき話を聞いた。だが、記事にするまでの整理がついていなかった。
 青森支局員だった私も、県幹部らの取材でにおいは感じたが、原子力船「むつ」などの取材に気を奪われていた。いま振り返ると、「むつ」の廃船騒動は、核燃サイクルの動きとつながっていたのではないか。
 原子力政策を進める側にすれば、カネ食い虫だった「むつ」の予算をほかにまわしたい。電力業界は、原発の使用済み燃料を何とかしたい。青森県は、売れ残った広大なむつ小川原に何か持ってきたいし、「むつ」を廃船にするなら見返りもほしい。そんな思惑の結節点に下北半島があった。
 東通村では、東北電力と東京電力の東通原発が漁業補償交渉に入っていた。大間町では、電源開発が原子力調査所を設置、84年末に町議会が誘致決議をする。いよいよ原子力半島化する中での核燃浮上だった。
 83年12月8日、首相の中曽根康弘は青森市内でこう語った(9日付朝日青森版)。「(下北半島を)原発のメッカにしたら、地元に大きな開発利益をもたらすだろう」
 84年1月5日。科技庁長官の岩動(いするぎ)道行は日本原子力産業会議の新年会で政府は「下北半島を原子力開発のメッカとする計画を立案中」と明かした(6日付読売)。
 4月20日、電気事業連合会の会長、平岩外四が、青森県知事の北村正哉に核燃サイクルの下北半島立地への協力を要請した。正月の新聞で火がつき、新年度早々に正式要請。「むつ」の母港が関根浜に決まる時と同じだった。


第2章 なぜ六ケ所村だったのか

 むつ小川原に核燃料サイクル基地。青森では1984年1月3日付に載った日経の特ダネは、地元紙をあわてさせた。
 東奥日報(本社・青森市)は、4日付で「『むつ小川原』立地浮かぶ」という大きな見出しで追いかけた。
 だが、デーリー東北(本社・八戸市)はすぐには書かなかった。原子力船「むつ」の乗船記者だった吉田徳寿(69)が東京に転勤になったあと、引き継いでいたのは江波戸宏(68)だった。こう振り返る。
 「電力業界あたりのリークだろうと思ったし、自分でもネタをもっていたから、悔しくて追っかける気になれなかった」


 82年末、江波戸は東京出張の際に動力炉・核燃料開発事業団を訪ねた。ある職員が「むつ会社からこういうのが来てるよ」。六ケ所村で開発用地を買収、分譲する第三セクター「むつ小川原開発会社」が再処理事業の照会をしていたのだ。
 1年間取材を重ね、むつ会社幹部に「そろそろ原稿にする。ちゃんと話してよ」。その直後の日経スクープだった。
 むつ小川原開発は、総面積5280ヘクタールのうち2800ヘクタールを工業用地として売る計画だった。ほとんど買収済みなのに、石油コンビナート構想は挫折。260ヘクタールの国家石油備蓄基地第1号が来ただけで、むつ会社は破綻(はたん)寸前だった。江波戸は言う。
 「再処理工場の本命は初め、隣の東通村だった。だって、東京電力と東北電力の原発用地として、900ヘクタールもの広大な土地を確保済みだったんだから」
 核燃サイクルは「3点セット」。六ケ所村にはウラン濃縮工場と低レベル廃棄物貯蔵施設をというのが、電力業界の想定だった。再処理工場も加わったのはなぜか・・・

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