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朝日新聞社

尾藤魂 第一部 青春編 「尾藤スマイル」が呼んだ初優勝

初出:2011年2月21日〜3月23日
WEB新書発売:2012年8月24日
朝日新聞

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 和歌山県立箕島高校を率いて4度の甲子園優勝に輝いた名将・尾藤公(元同校野球部監督)。その子ども時代から、監督に就任するまでの前半生を描く「青春編」。絶体絶命の窮地に立った選手を奮い立たせた「尾藤スマイル」はいつ、どんなことをきっかけに生まれたのか? 厳しかった監督を変えた経験とは? 東尾修(元西武ライオンズ投手・監督)ら関係者の証言をまじえながら当時の熱気を再現するルポ。
※2011年2月21日から3月23日の朝日新聞に掲載された記事を、当時の内容のまま再録しました。

◇第1章 トンちゃん
◇第2章 ラジオで聞いた野球
◇第3章 あこがれは長嶋
◇第4章 「捕手をやれ」
◇第5章 サインは直球
◇第6章 どうしても打てない
◇第7章 「4番はおまえや」
◇第8章 バッテリーの思い
◇第9章 挟殺プレー
◇第10章 ルールブック
◇第11章 淡い恋
◇第12章 労働者ガンバロー
◇第13章 少年との出会い
◇第14章 銀行よりノック
◇第15章 先頭で入場行進
◇第16章 一緒に甲子園へ
◇第17章 「尾藤さんがいたから」
◇第18章 振り上げた拳
◇第19章 鬼も時にはいい兄貴
◇第20章 悲願の初出場決定
◇第21章 市民の支えで
◇第22章 緊張の初甲子園
◇第23章 舞い上がり油断
◇第24章 すごい新入部員
◇第25章 急造捕手助けよう
◇第26章 延長伝説、幕開け


第1章 トンちゃん/友人ら 親しみ込め呼ぶ

 「おい、トン」「トンちゃん」。尾藤公(ただし)(元箕島高校野球部監督)は子供のころ、友達からこう呼ばれた。小学校時代からの友人、柳川昌弘(68)によると、名前の公がカタカナでハムと読めることや、丸っこい体形から「ハムは豚やで。トンちゃんやー」とみんなで付けたという。今も、学生時代の同級生や有田市の友人らは、親しみを込めてそう呼んでいる。
 トンちゃんの家は、通った箕島第一小学校(現・箕島小学校)の目の前、道を挟んですぐの所にあった。終業のベルが鳴るやいなや、友達と一緒に家に駆け込み、ランドセルを置いてまた校庭に走った。相撲、ビー玉、野球ごっこ……。日が暮れるまで、弟や友達と駆け回った。
 「もちろんガキ大将。いじめっ子が誰かに手を挙げようとすると『やめとけや』と立ち向かうタイプ。でも、けんかをする姿を見たことはなかった」と柳川は振り返る。
 柳川が、忘れられない姿がある。小学校高学年のころ、学校の小便用のトイレがつまって、汚水があふれそうになっていた。休み時間、トンちゃんが「おい。みんなでつまってんの取ろうや」と言い出した。この一言で、友達5人ほどが一緒に、トイレの溝に手を伸ばした。手は汚れたが、汚水はすっと流れだしたという。「もし先生に言われたら、いやだったでしょうね。トンだったから、みんながすぐ動いた。トンには、周りを自然に引っ張る力がありました」
 有田市でレストランを営む柳川は、今もトンと呼び、その間柄は昔と変わらないという。


第2章 ラジオで聞いた野球/ひきょうや勝負せえや

 昭和20年代、子供たちの好きな遊びは、相撲ごっこや野球ごっこだった。小学生のトンちゃんは、二つ下、五つ下の弟2人を相手に、家でも「バット」を振った。バットは薪で、ボールはピンポン球。ふすまを外して走り回った。校庭や路地では、友達と三角ベース。ボールはビー玉を布で巻き、バットは薪を刃物で丸く削った。竹もいいバットになった。2人だけでも投手と打者で遊んだ。
 箕島第一小5年のとき、祖父の庄太郎からキャッチャーミットを買ってもらった。地域の少年チームでだれも持っていなかったから、ねだった。釘工場の支配人だった祖父からのプレゼントは、トンちゃんを野球の虜(とりこ)にした。「おじいちゃんにはよう可愛がられたから、公(ただし)は、気ままに育っちゃるんよ。自由奔放に」と母茂子(90)は語る。
 箕島中1年のとき、ラジオにかじりつくように高校野球中継を聞いた記憶がある。1955年夏の第37回選手権大会準々決勝。1県1代表ではないころ、和歌山・奈良代表の新宮は、好投手前岡勤也を擁して1回戦で浪華商(大阪・現大体大浪商)、2回戦で小倉(福岡)を破り、続く準々決勝で中京商(愛知)と対戦。中京商は7三振を奪われて0―0で迎えた5回、バント戦法に出た。無死一、三塁から、コツンコツンと打者4人が続けてバント。敵失やその後の安打も絡め、その回5点を挙げた。新宮は0―6で敗退。ラジオに向かって、「ひきょうや。堂々と打って勝負せえや」と怒った。
 その後の監督時代、尾藤はプッシュバント戦法をあみだした。両手でバットを押し出すようにバントし、相手内野手の間に転がした。「昔あんなにバントが嫌いだったのに。監督になってバント戦法が得意になり、選手に求めるなんて。わからんもんです」と振り返る・・・

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