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朝日新聞社

プロメテウスの罠〔14〕 吹き流しの町「ヨウ素剤を配布せよ」

初出:2012年7月7日〜27日
WEB新書発売:2012年8月31日
朝日新聞

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 福島第一原発から放射能の大量放出があった2011年3月15日、原発から45キロ西の福島県三春町では、午後1時から、40歳未満のほぼすべての町民が、甲状腺がんを予防する安定ヨウ素剤を飲んだ。町は福島県にあるといっても原発とは無縁。原発の災害訓練などやったことがない。その三春町が、政府が混乱して明確な指示も出せないでいる15日に、どんぴしゃり、町民を守る決断を下した。原発と無縁の町の勇気ある決断、その背景を探った。

◇第1章 東風だ、ヨウ素剤を
◇第2章 同じ匂いのする男
◇第3章 国から情報は来ない
◇第4章 初めて見た茶色の薬
◇第5章 対象7248人 薬はどこだ
◇第6章 明日は東風…まずい
◇第7章 釣りざおに運命託す
◇第8章 薬をどう飲ませるか
◇第9章 課長会やっから来い
◇第10章 「みんな意見を言え」
◇第11章 「責任は、俺が取る」
◇第12章 山では決断し続けた
◇第13章 町は配ると決めた
◇第14章 マニュアルは無視だ
◇第15章 不安にさせぬ言葉で
◇第16章 今日こそ飲ませる日
◇第17章 「町の底力」整然と
◇第18章 そのころ、国と県は
◇第19章 三春町のやり方で
◇第20章 決断 それが現場


第1章 東風だ、ヨウ素剤を

 福島第一原発から放射能の大量放出があった11年3月15日、原発から45キロ西の福島県三春町。
 午前8時過ぎ、副町長の深谷茂(ふかやしげる)(63)は、インターネットのニュースで、茨城県東海村で通常の約100倍の放射線量が観測されたことを知った。
 この日は、北風から東風に変わるとの予測があった。三春町は原発の真西。100キロ以上離れた東海村でこの値だと、東風になれば三春にはもっと濃いのが来る。
 風向きが気になった。
 役場の屋上に前日立てた吹き流しを見に行った。ところがあっちを指したり、こっちを指したり。地形が複雑で、風が回っているのだ。
 困った。4階の議長室に入ってきた深谷に、議長の本多一安(ほんだかずやす)(62)がいった。
 「沢石(さわいし)に立てよう」
 沢石は標高450メートル。町一番の高台だ。本多は娘の千春(ちはる)(34)に電話をかけた。千春は沢石の日帰り入浴施設「いぶき」に勤めている。
 「そこんところ、吹き流しを立てて、風向きを教えろ」
 千春は倉庫にしまってあった、幟(のぼり)用の白いポールを持ち出した。荷造り用の青いテープを何本か、1メートルぐらいの長さに切り、ポールの先に結びつけた。
 午前9時、そのお手製吹き流しを施設の前のひらけた場所に立てた。テープが強い風をとらえ、真っすぐ横にたなびく。父に電話した。
 「移ケ岳(うつしがたけ)の方から吹いてるよ」
 東風だった。
 一安は10時、11時、12時と継続して風向きを見るようにといい、「写真に撮って、送れっ」といった。


 深谷は町長室に向かい、町長の鈴木義孝(すずきよしのり)(72)に決裁を求めた。
 「東風です。準備した薬を、町民の方に今日、飲んでいただこうと思います」
 午後1時から、40歳未満のほぼすべての町民が、甲状腺がんを予防する安定ヨウ素剤を飲んだ。
 町は福島県にあるといっても原発とは無縁。原発の災害訓練などやったことがない。町長以下、3日前まで原発や放射能に関する知識はゼロだった。
 その三春町が、政府が混乱して明確な指示も出せないでいる15日に、どんぴしゃり、町民を守る決断を下したのである。


第2章 同じ匂いのする男

 原発と無縁だった三春町が、原発災害を意識するよう迫られたのは、大地震発生の翌日、11年3月12日のことだった。
 「福島第一原発の周辺住民に避難指示が出ました。何人、受け入れてもらえますか」
 町役場に急報が入った。福島県警からだった。
 「600人だ!」
 副町長の深谷茂は、電話を受けた総務課長の橋本国春(はしもとくにはる)(60)に、そう即答させた。
 深谷は、小中学校などの体育館の収容力だけでなく、炊き出しの能力も考え、人数をはじき出した。
 急な避難だから、おそらく身一つで逃れてくる。寝る場所だけでなく、食事も必要になる。
 大地震のあった3月11日、三春の町民向けに避難所を4カ所開いていた。だから、町にどのくらい食事提供力があるか、頭に入っていた。
 深谷は大学では山岳部だった。山岳部員は年の150日は山で過ごす。調理の人員とかまどの数とコメの量から何人抱えられるか、とっさに計算するくせがついていた。
 3月12日の昼ごろ、受け入れが始まった。福島第一原発のある大熊町と、富岡町の人が、マイカーやバス、自衛隊のトラックでやってきた。
 原発から三春町までは国道288号で一本。避難は夜になっても続き、600人をすぐに突破した。
 深谷は、町の公社が運営するレストハウス「田園生活館」も炊き出しに利用できることを思いつく。急いで追加手配した。
 結局、三春町は予定の3倍以上の1925人を受け入れた。


 翌3月13日朝、深谷が詰めていた役場2階の町長室に、細身で彫りの深い顔立ちの男性が入ってきた。男は大熊町の農業委員会事務局長の石田仁(いしだじん)(58)と名乗った。
 「大熊町からの避難者の連絡員を務めます。お世話になります」
 町民約1千人を受け入れてもらった礼を述べた石田は、そのうえ申し訳ないのですが、といった。
 「机と電話とパソコンを貸していただけないでしょうか」
 町長室のある2階フロアの一角に席を与えられた石田は、パソコンで原発事故のデータを集め始めた。
 深谷は「なんと緻密(ちみつ)な人間だ」と感心した。自分が、どちらかというと「直感で動くタイプ」だからでもある。ただ、つながりも感じた。
 「どこか同じ匂いのする男だ・・・

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