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朝日新聞社

民意無視する佐賀県知事と九電 「原子のクニ」プロローグ 再稼動問題

初出:2012年8月28日〜9月1日
WEB新書発売:2012年9月14日
朝日新聞

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 電源の40%超を原子力に依存する九州電力。福島原発事故が起きた3・11以後、国は玄界原発のある佐賀県民にも安全性をめぐる説明会を行ったが、動員に関する九電の「やらせメール」問題が発覚。古川康県知事の関与がいまなお追及されるなか、知事は九電の原発再稼動をめぐり、再び「容認」の声を上げ始めた。これまでの原発に関する様々な知事発言を時系列で追いながら、民意に背を向ける立地県・電力会社・国の根深い関係を検証する。

◇第1章 3・11後、見えない変化
◇第2章 「万全の対策」国任せ
◇第3章 再稼働へにじり寄る
◇第4章 民意からかけ離れる
◇第5章 沈黙、そして再び…


第1章 3・11後、見えない変化

 2012年7月30日夕、古川康知事に原発の話を聞いた。2011年、九州電力の「やらせメール」問題への「関与」を発表した会見から1年というタイミングを狙った。
 「新しもの好き」と言われる知事はネットやツイッターを使った情報発信に熱心だった。2011年、玄海原発の再稼働で言動が注目されていた時も「総理の考えが分からない」なんてことを冗舌に語ってくれた。
 しかし、あの「やらせ」を機に、知事は多くを語らなくなっていた。
 久しぶりに原発について語った知事は、自分のことを「国がやるべきことと、地方ができることを分ける分権派だ」と言った。原発の安全の責任は国にあるというスタンスは変わっていなかった。
 「『やらせ』で知事がどう変わったかが見えない」と聞くと、こう答えた。
 「去年の反省に立っているという点では、あまり先のことを語らなくなった」
 いや、それは、あくまでプロセスだ。本質的に変わったのかは最後まで分からなかった。

――九電幹部を前に持論
 3・11から3カ月が過ぎた11年6月21日。古川知事は知事公舎で九電の段上守副社長、諸岡雅俊原子力発電本部長、大坪潔晴佐賀支店長(いずれも当時)と会っていた。
 副社長と本部長の退任あいさつで知事と県庁で会う約束だった。玄海原発の再稼働を巡り、節度を保って接するべき相手を、予定よりも早めに到着したという理由で、あっさりと公舎に招き入れた。
 定期検査後の運転再開が延期されたままの玄海原発2、3号機に、段上氏が「残念だ」と触れると、古川知事は11年6月26日に国が説明番組を放映することを説明し、持論を展開した。
 「自分のところに来るのは反対意見ばかりだが、電力の安定供給の面から、再稼働を容認する意見も経済界にあると聞く。だが、それは表に出ていない。そういう声もあるなら、こうした機会を利用して、声を出していくことも必要だ」
 九電は「やらせ」への暴走を始めた。

――「暑い夏」 はやる気持ち
 この頃、古川知事は表向きは、「中立」を崩していなかった。九電の3人と会う前日も、玄海再稼働について「非常に悩んでいる」と県議会で答弁していた。
 しかし、実際は再稼働に向けて気が走っていた。
 「去年のような暑い夏が来たら困る」
 国の原子力行政に疑問を投げかけつつも、再稼働に向けた安全性の検証は震災後に国が指示した緊急安全対策の範囲にとどめた。
 国のトップの言動も気になった。海江田万里経済産業相(当時)は再稼働の必要性を唱え、緊急安全対策を終えた原発の安全を宣言した。一方で菅直人首相(当時)の考えは分からなかった。「国側のリスクは菅総理」。11年6月21日に面会した九電幹部にはそんな不安も伝わった。

――県民の違和感と距離
 知事公舎での面会から5日後の11年6月26日。国主催の説明番組が佐賀市内のケーブルテレビ局で収録された。外では反対派が鳴り物を鳴らしながら、「再稼働反対」と叫んでいた。
 県庁で番組を見た古川知事は終了後、こう語った。
 「いいやり取りだった」
 しかし、経産省側に事前に選ばれた県民代表7人は違った。番組終了後、「難しくて説明がよく分からなかった」「90分は時間が短すぎた」と声を上げた。以前なら沈黙していたかもしれない、3・11を経験した県民の姿だった。
 それでも古川知事は3日後、海江田経産相と会い、「安全性の疑問点はクリアできた」と事実上の再稼働容認宣言に踏み切った。
 福島第一原発の水素爆発や放射線被害などまるでなかったかのように、あっという間に流れた3カ月半。しかし、その気配は、すでに3・11の直後から漂っていた・・・

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