社会・メディア
朝日新聞社

超人気マンガを推進PRに利用 原発とメディア 子ども(1)

初出:朝日新聞2012年10月22日〜11月1日
WEB新書発売:2012年12月7日
朝日新聞

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 鉄腕アトム、アラレちゃん……主に1970〜80年代、国や電力業界は子どもたちにとって身近な人気マンガを原発広告に起用し、メディアでPRした。米ソの原発事故から推進への反感が高まり、原発の必要性を子どもの頃から「啓蒙」する必要があった。有力漫画家を仲介し発行したのは「漫画社」。それはどんな会社で、漫画家はどんな思いで参加したのか。利用された反原発派の故・手塚治虫の困惑、エネルギー政策上は原発を容認する松本零士らの後悔の念などを伝える。

◇第1章 広告に人気漫画
◇第2章 偽アトム
◇第3章 アニメ版アトムの親
◇第4章 漫画家とつなぐ
◇第5章 漫画家の収入源
◇第6章 「確信犯」
◇第7章 プライド
◇第8章 巨匠の後悔
◇第9章 伝えたいものは?


第1章 広告に人気漫画

 1981年10月26日。子どもの目を引く全面広告が、朝日新聞大阪本社発行の朝刊に掲載された。
 「アラレちゃんの原子力発電豆辞典」。鳥山明の人気漫画「Dr.スランプ アラレちゃん」のキャラクターたちが、原発の仕組みや地震対策を説明するイラストのそばにあしらわれている。「ほよっ!?」「んちゃ!」。主人公のアラレは、目をパチパチさせたり、走り回ったり。そして、広告の一番下に「関西電力がお届けする電気の30%は《原子力発電》です」と書かれていた。


 81年当時、「アラレちゃん」は、子どもたちに絶大な人気を誇っていた。テレビ放映されたアニメは、同年12月に最高視聴率36・9%を記録。人気絶頂の漫画を使った原発PR広告だった。
 朝日新聞大阪本社で広告内容をチェックする部署の副課長だった石田一彦(77)は「掲載をめぐってもめた広告は覚えているが、これは記憶にない」と話す。「『絶対に安全です』といった誇張表現もないし、審査基準に違反しているわけではない」
 国や電力業界は、70年代後半から一般大衆向けの原発PRを本格化させた。そのターゲットのひとつが、子どもだ。
 なぜ子どもなのか。79年4月、電力業界の業界誌「電力新報」に「危機深めるエネルギー教育の実態」という記事が載った。神戸市立高校の理科教師だった十亀(そがめ)好雄(79)が、74年と79年に小中高生に行った意識調査の結果を紹介していた。
 「今後開発が必要な電源は」との問いに対して「原子力」と答えたのは、79年で小中学生ともに約1割。しかも、74年からそれぞれ10ポイント、16ポイント減っていた。一方、高校生は74年、79年ともに2割程度で大きな変動はなかった。この結果を踏まえ、十亀はこう提案した。
 「原子力発電への啓蒙(けいもう)は、小・中学生に視点を向ける必要がある。高校生段階では、自己の主義主張の概念がかなり形成されてくるので、その教育的効果はあまり期待できなくなる」
 電力業界と国は原発を子どもにどのように教え、メディアはどう関わってきたのか。漫画や教科書、小学生新聞を通して探っていく。


第2章 偽アトム

 1978年3月、「鉄腕アトム よみがえるジャングルの歌声」という漫画冊子が発行された。物語は、こうだ。
 ある日、アフリカの動物たちが「原発をつくりたい」とアトムを頼って日本にやってくる。アトムは原発の仕組みを教え、アフリカで無事に完成。その後、大地震がアフリカを襲い、津波も押し寄せたが、原発はびくともしなかった――。


 「あの冊子は困りました。すぐに手塚は、配布はやめてほしいと求めました」。手塚プロダクション社長の松谷孝征(68)は振り返る。このアトムは手塚治虫が描いたものではない。表紙裏の隅に「作画・田中省三」と小さく書かれている。読んだ人から「手塚は原発推進派か」と抗議を受け、手塚は初めて冊子の存在を知った。
 発行したのは「漫画社」(2008年解散)。国や企業などの依頼を受けて漫画による解説本などを作っていた会社で、アトムの冊子は電気事業連合会と東北電力などに計数千部納められた。当時の社長・樋口信(74)は取材に対し「事前了承はあったはず」と無断利用を否定し、こう言った。「アトムって名前からして原子力なんだから、手塚さんは賛成派じゃないの?」
 手塚のもとには、電力業界から「アトムを原発のPRに使いたい」との依頼が時々あった。「原子」の名をもつ子どもたちのヒーローは、格好の広報素材だったからだ。だが、反原発を明言していた手塚は、すべて断っていた。
 手塚は、電気そのものは「終戦の日に、真っ暗な街に明かりがともり、平和の象徴に見えた」と大事にしていたが、「原発だけは別」と話していた。晩年の漫画情報誌のインタビューでも、核兵器も含め「あらゆる核エネルギーに反対」と語っている。
 手塚の死後に出されたエッセー集「ガラスの地球を救え」に、「アトムの哀(かな)しみ」という章がある。「鉄腕アトム」が科学による繁栄を幸福に描いた漫画と誤解されることに「迷惑している」と切り出し、こう続けた。「ひたすら進歩のみをめざして突っ走る科学技術が、どんなに深い亀裂や歪(ゆが)みを社会にもたらし、差別を生み、人間や生命あるものを無残に傷つけていくかをも描いたつもりです」


第3章 アニメ版アトムの親

 戦後の子どもたちのヒーロー「鉄腕アトム」は、1963年から始まったアニメ版の大ヒットで国民的な知名度を得る。
 最高視聴率は64年3月14日に放映された物語で記録した40・3%。この物語は手塚治虫の原作になく、脚本を書いたのはSF作家の豊田有恒(74)だった。
 他局のアニメ「エイトマン」の脚本を書いていた豊田は、手塚にその才能を見込まれ、オリジナル脚本を書くためにアニメ版アトムに参加した。
 手塚が「反原発」だったのに対し、豊田は「原発好き」を公言してきた。豊田は取材に「アトムが有名になったことで、原子力エネルギーは実用化できるということが当時の子どもに伝わったと思う」と言う。一方で「手塚さんと原発に関して意見を交わしたことはない」と振り返る。
 原発が好きになるきっかけは、60年代半ばに小松左京、星新一らSF作家クラブのメンバー11人と一緒に行った茨城県東海村の研究用原子炉見学だった。初めて触れた原子力に「未来のエネルギー」としての魅力を感じ、「すっかりはまってしまった」。以来、全国各地に造られていった原発をすべて見て歩いてきた。
 79年5月、豊田は原発見学の成果を連載に書き始めた。それが日本原子力文化振興財団の広報誌「原子力文化」に掲載された「ルポ 航時機(タイムマシン)アトム」だった。


 豊田が原発を見に行き、現地近くに1泊した際、電力会社がたいてい夕食を用意した。のちに豊田が電力会社に送金すると、社員に「お支払いになったのは初めてです」と驚かれたという。また、日本原子力文化振興財団が支払う原稿料は驚くほど高かった・・・

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超人気マンガを推進PRに利用 原発とメディア 子ども(1)
216円(税込)

鉄腕アトム、アラレちゃん……主に1970〜80年代、国や電力業界は子どもたちにとって身近な人気マンガを原発広告に起用し、メディアでPRした。米ソの原発事故から推進への反感が高まり、原発の必要性を子どもの頃から「啓蒙」する必要があった。有力漫画家を仲介し発行したのは「漫画社」。それはどんな会社で、漫画家はどんな思いで参加したのか。利用された反原発派の故・手塚治虫の困惑、エネルギー政策上は原発を容認する松本零士らの後悔の念などを伝える。[掲載]朝日新聞(2012年10月22日〜11月1日、8100字)

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