社会・メディア
朝日新聞社

記者はなぜ現場からいなくなったのか [原発とメディア]

2013年02月01日
(22100文字)
朝日新聞

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 原発事故直後、情報が錯綜するなか記者は被災現場周辺にいた。日増しに被曝の危険性は高まり、朝日新聞社はチェルノブイリ事故を参考に原発30キロ圏内から退避するよう記者に命じた。反発する記者もいたが、圏外からメールや電話で取材した。食料も情報も届かない被災住民は怒り落胆した。現場か、安全か……多くの朝日新聞記者の取材活動をたどり、11年7月の「原発ゼロ」社説掲載までの長い経緯と激論を紹介しつつ、原発と報道の責務を詳しく検証する。

◇第1章 原発のほうへ
◇第2章 3キロ圏内に避難指示
◇第3章 原発に近づくな
◇第4章 1号機建屋が爆発
◇第5章 いわきから郡山へ
◇第6章 振り切れた線量計
◇第7章 最悪の事態に備えを
◇第8章 記者がいなくなった
◇第9章 原則は「安全第一」
◇第10章 JCO事故で現場へ
◇第11章 カメラマンの呼びかけ
◇第12章 圏外からの電話取材
◇第13章 1年1ミリシーベルト
◇第14章 現場か、安全か
◇第15章 食料が届かない
◇第16章 覚悟はどこに
◇第17章 共同通信、20キロ圏内へ
◇第18章 普賢岳の教訓
◇第19章 ダブルスタンダード
◇第20章 原発ゼロ社説
◇第21章 長い検討
◇第22章 大軒の決断
◇第23章 激論・部長会
◇第24章 首相と連携せず
◇第25章 ゼロへの道筋


第1章 原発のほうへ

 何か、書かなきゃ……。
 朝日新聞いわき支局長の佐々木和彦(59)は、かつて経験したことのない激しい揺れのなかで、一瞬、死を意識した。1985年の日航機墜落事故で、何人かの乗客が手帳などに最後の言葉をつづっていたことが頭をよぎった。
 2011年3月11日午後2時46分。
 ビルの8階にあるいわき支局は、大きく、長く、揺れに揺れた。支局にいたのは佐々木ひとり。大判のスクラップブックを収納する棚がバタバタ倒れた。


 いわき支局員の西堀岳路(たけみち)(46)は、軽い発熱で医院に立ち寄り、自分の名が呼ばれたところで地震に見舞われた。支局のあるビルの外で、佐々木と無事を確認し合った後、海岸部へ取材に走った。
 経済産業省担当の科学医療部記者、小堀龍之(35)が東京・霞が関の同省別館にある原子力安全・保安院緊急時対応センターに駆けつけたのは、地震発生から31分後の3時17分だった。立ち入り禁止のため、他社の記者数人と一緒に前の廊下にいると、中から職員の大声が聞こえてきた。
 「女川10メートル津波!」「電話出て!」
 午後4時前、センターの職員が廊下に出て、文書を読み上げた。
 「15時42分、1F(イチエフ)(東京電力福島第一原発)1から5号機、全交流電源喪失。警戒本部を立ち上げた」
 午後4時8分、福島総局長の矢崎雅俊(50)は記者15人に一斉メールを出した。
 「原発は大丈夫か」
 異常事態が起きていないか、情報を集めろ、という指示だった。
 午後4時45分、東電は福島第一原発1、2号機の原子炉冷却装置が働かなくなったと経産省に通報した。
 夕刻、福島総局の記者、関田航(せきたわたる)(26)は矢崎に指示された。
 「何があるかわからない。原発のほうに向かってくれ」
 関田は気持ちの高ぶるのを感じながら、四輪駆動の取材用社有車・日産エクストレイルの運転席に乗り込んだ。
 記者の安全か現場取材か。原発事故でメディアはその姿勢が問われた。


第2章 3キロ圏内に避難指示

 3月11日夜、福島第一原発に向かった朝日新聞福島総局記者の関田航(26)は、福島県浪江町苅宿のコンビニで車を止めた。原発から約10・2キロ。出発の際、「(原発がある)大熊町に入る前に連絡せよ」と総局長に指示されていた。携帯電話に総局長からメールが届いていた。
 「浪江町の避難所に回り、写真1枚押さえて少し話を聞いて、すぐ退避してください」
 東京電力は同日夜の記者会見で、原子炉が冷やせない状態が続くと、放射性物質が漏れ出す危険性が出てくる、と述べていた。
 福島県は午後8時50分、原発から2キロ圏内の双葉町、大熊町の住民に避難を指示。9時23分には、政府が3キロ圏内の住民に避難を、3〜10キロ圏内の住民に屋内退避を指示した。
 関田は近くの苅野小学校に避難してきた人たちを取材。午後11時半ごろ、南相馬に向けて出発した。


 いわき支局員の西堀岳路(46)はその夜、津波に襲われた小名浜漁港を取材した。通信事情が悪く、車の中で原稿の送信に四苦八苦していたときだった。闇の中、白い発泡スチロールが波に乗ってこちらに向かってくるのが窓越しに見えた。
 津波だ!
 あわててアクセルを踏み込んだ。海水は車体の下に届いていた。
 同じ頃、いわきで取材している朝日記者がもう1人いた。東京本社から駆けつけた社会部記者、松川敦志(40)だ。
 松川は午後4時すぎに本社ヘリコプターで羽田空港を発ち、津波に襲われたいわきの海岸部の状況を上空から取材。福島空港に降り、タクシーでいわき市内に入って海岸部を徒歩で取材した。9時40分ごろに原稿を送信。社会部に電話をかけた。
 「メール、見てないの? すぐそこを離れて福島総局へ移動して」
 遊軍キャップが言った。
 1時間ほど前に届いたメールは「原発が危ない。屋内に入れ」と告げていた。
 松川は10分ほど福島総局に立ち寄っただけで、津波被災の現場をめざし、すぐに宮城県へと向かった。


第3章 原発に近づくな

 東日本大震災発生から11時間後の3月12日午前1時47分。朝日新聞東京本社社会部から、福島総局と社会部の記者に一斉メールが送られた。
 「福島第一原発では、(原子炉格納容器の)中の圧が高まっているため、弁を開いて中の蒸気を外に出すこと(ベント)を検討しています。これによって、放射能が外に出るおそれがあります。(略)原発には、絶対に接近を試みないでください」
 同じ頃、東京写真部の水野義則(35)が避難所となっていた福島県大熊町総合スポーツセンターにたどり着いた。
 前日に羽田からヘリで福島空港に降りた水野は、空港で偶然一緒になった大阪社会部の記者2人とタクシーに乗り、津波で大きな被害が出た南相馬市をめざした。途中、いわき支局を訪ねたが、人の姿はなかった。そのまま北上して富岡町役場に着き、東京写真部に電話した。
 「原発に近づくな」
 水野は初めて原発の存在を意識した。やや内陸に回って大熊町のスポーツセンターへ。原発から3・5キロほどの距離だった。
 12日早朝、水野は人の気配で目を覚ました。原発から退避してきたのか、ヘルメット姿の作業員約20人が被曝(ひばく)線量を測ってもらっている光景が目に入った。
 午前6時、係員が「ここから避難して下さい」と声をあげた。政府はその直前に避難指示の範囲を3キロ圏内から10キロ圏内へと拡大していた。着の身着のままの住民たちと一緒に、水野ら3人の朝日記者は田村市に移動。原稿と写真を本社に送った。


 7時12分、首相の菅直人(66)を乗せたヘリコプターが第一原発に到着した。ベントは始まっていなかった。このままでは爆発の危険がある。菅が叫んだ。
 「何でベントができないんだ!」
 その朝、いわき支局員の西堀岳路(46)は、いわき市北部の久之浜を取材した。津波に遭った人たちの遺体があちこちにあった。消防や警察は生存者の救出に全力を挙げていた。遺体収容は進んでいなかった。
 午後1時50分。原子力安全・保安院は、1号機で炉心の一部に溶融が起きている可能性が高い、と発表した。


第4章 1号機建屋が爆発

 「皆さん 原発に炉心溶融の可能性が出てきたことで、社としては原発から半径30キロ圏内に立ち入らない、ということが決定されました。現在、皆さんがいる地域の中では、南相馬支局を含む(福島県の)南相馬市がこの圏内に入ります。(略)事態の変化、風向きの変化に気をつけて下さい」
 3月12日午後3時23分。朝日新聞福島総局長の矢崎雅俊(50)は県内で取材にあたる記者にメールを送り、本社報道・編成局の決定を伝えた。津波のため、南相馬市で300人が行方不明になっているらしい、といった情報が前夜から流れ、近隣の総局や大阪本社などからの応援組を含む10人ほどの記者が取材をしていた。
 矢崎のメール発信から13分後の午後3時36分、東京電力福島第一原発1号機の原子炉建屋が水素爆発を起こした。
 その4分後、地元の福島中央テレビがその模様をローカル枠で放送した。
 「これは何だ!」
 県の災害対策本部に詰めていた報道陣の間から驚きの声があがった。
 午後4時40分。東電福島事務所が「1号機で午後3時半ごろ、ドンという爆発音がした」と報道陣に説明。約10分後、日本テレビ、NHKなどが爆発を報じた。
 いわき市の夕刊紙「いわき民報」の記者、柿沼美佳(33)はその日、市の海岸部を取材していた。一帯は津波で壊滅していた。行方不明になった同僚を捜す信用組合の職員数人に出会った。携帯電話での会話を終えた職員の一人が柿沼に言った。
 「原発が爆発したらしい」
 えっ、そんなことって、あるの? 柿沼には、現実のこととは思えなかった。
 近くの病院を取材して新聞社に帰る途中、がれきの中から音が聞こえてきた。
 ♪ハッピー・バースデー・トゥ・ユー、ハッピー・バースデー・トゥ・ユー
 女の子の学習机やノート、雑貨が散らばる辺りから、誕生日を祝う歌の電子音が繰り返し、繰り返し、流れてきた。
 柿沼は、立ちつくして、泣いた。
 1号機の水素爆発を受け、矢崎は午後5時54分、いわき支局の記者2人に「郡山支局に移動せよ」という本社からの指示を伝えた。


第5章 いわきから郡山へ

 「市民の避難が始まっていないのに、記者だけ逃げてどうするんだよ」
 原発が水素爆発を起こした3月12日の午後6時前、福島県郡山市への退避を指示された朝日新聞いわき支局の西堀岳路(46)は、そう思った。指示を無視して、いわきに残ろうか、と支局長の佐々木和彦(59)と話し合った。佐々木は「現場の取材はどうするんですか」と、福島総局長の矢崎雅俊(50)に疑問を投げかけた。
 矢崎は「1時間後にも原発がどうなるか分からないうえ、ライフラインも断たれている。これ以上、いわきで取材を続けるのは困難だ」とみていた。
 冬の北風を受けて、原発から放出された放射能は南のほうへ流れる、いわきは危ない、との見方も当時あった。
 矢崎に説得され、佐々木と西堀は午後9時ごろ、それぞれの車で郡山に向かった。佐々木は単身だったが、西堀は妻と4歳の子どもがいた。妻子を郡山に送り届け、すぐいわきに戻るつもりだった。
 政府は午後6時25分に、住民への避難指示を原発10キロ圏内から20キロ圏内へと拡大していた。いわき支局は福島第一原発から約45キロのところにあり、退避は朝日新聞社独自の判断だった。
 午後8時すぎ、朝日新聞社は社内に「原子力事故対策本部」を設置。原発から30キロ以内に近づかないことを、販売局や広告局などを含む全社の方針とした。「30キロ」の数字は、旧ソ連政府がチェルノブイリ原発事故の際、30キロ圏内の住民を強制的に避難させたことが参考にされた。
 こうして12日夜までに、朝日新聞は浜通りの取材拠点の南相馬と、いわきにいた記者を福島総局と郡山支局に移した。
 同じ日、フリーランスのジャーナリストが東京から福島に向かった。日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)に所属する森住卓(たかし)(61)、山本宗補(むねすけ)(59)、豊田直巳(56)、綿井健陽(たけはる)(41)、野田雅也(37)と、写真誌「デイズ・ジャパン」編集長の広河隆一(69)の6人だ。
 車3台に分乗した一行は13日未明、郡山で合流。午前7時すぎ、国道288号を原発へと走り出した。規制線のある所まで行けるだけ行こうと。


第6章 振り切れた線量計

 3月13日朝、綿井健陽(たけはる)(41)ら6人のフリージャーナリストは3台の車に分乗し、福島県郡山市から東京電力福島第一原発に向かった。
 一行のうち広河隆一(69)は長年、チェルノブイリ原発事故を追い、森住卓(61)は米国や旧ソ連の核実験場とその周辺を取材してきた。豊田直巳(56)は前の週にチェルノブイリ取材から帰ったばかり。綿井が福島行きを決めた理由の一つは「放射能の現場」を知る先輩が一緒だったからだ。警察の規制は始まっておらず、「立ち入り禁止」の看板もなかった。
 午前10時20分、一行は原発から約3・5キロの双葉町役場に着いた。時計の針は「2時47分」を指して止まっていた。
 「ピーーーッ」という音を立てて、1時間あたり100マイクロシーベルトまで測れる広河の線量計が振り切れた。
 10時42分、双葉厚生病院前。あわてて脱出したのだろう、玄関前にベッドが放置されていた。今度は、1時間あたり1千マイクロシーベルトまで測れる豊田の線量計が振り切れた。一般人が1年間に受ける被曝(ひばく)線量の限度が1千マイクロシーベルト。それをわずか1時間で超える猛烈な線量だった。
 「政府が言うような『念のため避難する』というレベルではない。『危険だから今すぐ逃げろ』と号令をかけるレベルだ」と豊田たちは思った。この事実を伝えてもらおうと、テレビ局、新聞社に連絡した。
 あるテレビ局の担当者が言った。
 「どこの許可をとって避難指示区域に入ったのですか・・・

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原発事故直後、情報が錯綜するなか記者は被災現場周辺にいた。日増しに被曝の危険性は高まり、朝日新聞社はチェルノブイリ事故を参考に原発30キロ圏内から退避するよう記者に命じた。反発する記者もいたが、圏外からメールや電話で取材した。食料も情報も届かない被災住民は怒り落胆した。現場か、安全か……多くの朝日新聞記者の取材活動をたどり、11年7月の「原発ゼロ」社説掲載までの長い経緯と激論を紹介しつつ、原発と報道の責務を詳しく検証する。[掲載]朝日新聞(2012年11月21日〜12月27日、22100字)

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