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朝日新聞社

プロメテウスの罠〔24〕 「影」が動いた「早く除染してくれ!」

初出:2013年1月22日〜2月11日
WEB新書発売:2013年2月22日
朝日新聞

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 陸上自衛隊中央即応集団は極秘任務を遂行する「影の部隊」の集合体で、福島原発事故では原発対処の主力だった。そのひとつ、中央即応連隊に東電社員救出の命が下った。重なる建屋爆発で現場の放射線量は膨大だった。3号機爆発に遭遇した中央特殊武器防護隊の隊員は負傷し、被曝した。爆発の危険を「東電は知っていたのではないか」。第1空挺団は飯舘村の住民救出に備えた。迫る最悪事を前に、放射能と対峙する「影の部隊」の壮絶な姿を多くの証言とともに再現する。

◇第1章 原発突入、極秘の救出作戦
◇第2章 重装備+紙おむつ
◇第3章 見せず、聞かせず
◇第4章 妻にも言えない
◇第5章 敵を包囲するように
◇第6章 うわっ、これは高い
◇第7章 車ごと吹き飛ばされ
◇第8章 どうなんですか!
◇第9章 踏みとどまってくれ
◇第10章 犬や猫にあげよう
◇第11章 プロなんだから撃て
◇第12章 代わってもいいのか
◇第13章 行けと言って下さい
◇第14章 俺が見てくる
◇第15章 住民は普段着のまま
◇第16章 防護服やめましょう
◇第17章 特攻もあるのか
◇第18章 任務続行か、中断か
◇第19章 サリン以来の発令
◇第20章 携帯電話一覧表だけ
◇第21章 吉田所長は泣いた


第1章 原発突入、極秘の救出作戦

 自衛隊には表に出ない「影の部隊」がある。その一つが中央即応連隊だ。
 国連の平和維持活動では真っ先に現地に入り、宿営や警備の態勢を整える。万が一に備え、厳しい訓練を重ねている。
 原発事故直後、「影の部隊」が動いた。
 2011年3月19日午後9時、福島県の郡山駐屯地。陸上自衛隊中央即応連隊長の1佐、山口和則(やまぐちかずのり)(48)が席に戻ると、机の上に防衛省陸上幕僚監部からの電話メモがあった。
 「用件有、連絡下さい」
 この日、福島第一原発では東京消防庁のハイパーレスキューが3号機に連続放水をしていた。
 山口は原発がらみに違いないと思った。水は入りだしたから、それ以上の任務だろう。
 陸幕監部に電話すると、こういわれた。
 「原発で最悪の事態が起きた場合の作戦を検討している。取り残された東京電力社員たちを救出する」
 東電社員救出作戦――。おそらく膨大な放射線量の中に突っ込んでいかなければならない。思わず「安全なんですか」と尋ねた。返事は「……だと思う」。
 電話を切る際「作戦は秘匿しろ」といわれた。
 秘匿の理由は、作戦を知られると国民に動揺や臆測を呼ぶと考えたからだ。今も公にはされていない。
 作戦の内容を複数の防衛省幹部に取材した。徐々に輪郭が明らかとなった。
 中央即応連隊は700人態勢で2008年に編成された。本拠地は栃木県の宇都宮駐屯地。装甲車や迫撃砲を持つ歩兵の普通科など4個中隊からなる。
 山口らが郡山に出動したのは電話が入る2日前、3月17日だった。20〜30キロ圏の住民避難を支援したが、これだけで任務が終わるはずがないと思っていた。
 電話直後の19日深夜、全国から装輪装甲車が郡山に集まり始めた。
 装輪装甲車は8輪の強化タイヤを持ち、パンクしても走行できる。最速100キロで隊員輸送に使われる。
 原発敷地内がどんな状態でも突入し、数十人を助け出す作戦になる。特別な改造が必要となった。


 救出者は、急を要するため屋根に乗せる。素早く乗れるよう、前部に踏み台、屋根に手すりをつける。ロープを2本おろし、50センチごとに結び目をつくる。
 救助に来たことを知らせる拡声機も必要だ。操縦席は放射線を遮蔽(しゃへい)するための防護シートで覆う。
 20日午前0時、正式命令が下った。内容は炊き出しや通信支援、行方不明者捜索、それと「関係機関等の所要に応じた各種支援」。
 最後の「各種支援」が救出作戦を指した。隊員にどう説明するか。山口は食事がのどを通らなかった。午前8時、宿営する演習場で220人の隊員に告げた。
 「不測事態における東電社員救出作戦を最大の焦点に任務を遂行する。危機を恐れず、侮るな」
 雪解けの地面に立った隊員たちは無言だ。
 山口は、作戦の口外を禁じ、こういった。「長期になる。今日は風呂に入れ。明日以降に備えよ」


第2章 重装備+紙おむつ

 3月20日夜、東京電力社員救出という極秘作戦に備え、陸上自衛隊中央即応連隊の行動が始まった。
 郡山の駐屯地を出て、70キロ南東の海岸近くに移る。目的地は「福島県いわき海浜自然の家」。
 小中学校が林間学校で使う宿泊施設だ。広場や体育館、炊飯場が整っている。標高60メートルの高台にあり、人目につかない。極秘作戦にぴったりだった。
 午後9時半、連隊長の山口和則が作戦会議を開いた。研修室に中隊長や課長ら30人が集まった。
 山口はホワイトボードに絵を描きながら、作戦の概要を説明する。
 自然の家から10キロ北にあるスポーツ施設、Jヴィレッジに移り、足場とする。そこから20キロ北の福島第一原発まで装輪装甲車で往復する。乗せ帰った救助者と装甲車はJヴィレッジで除染する――。
 25日までに、担当に分かれて準備するよう指示した。
 作戦は徐々に具体化された。
 原発への経路は、できるだけ高速道路を使う。不通に備え、農道をふくむ複数の経路を偵察した。
 救出方法は、建物内に取り残された社員たちに装輪装甲車の拡声機で呼びかけ、急いで屋根に乗ってもらう。装甲車の改造を急いだ。
 訓練は21日朝から始めた。
 隊員は、防護服の上に重さ20キロの鉛のベストを着る。それに防護マスク。第1ヘリコプター団がヘリ放水したときと同じ重装備だ。
 それに加え、全員が紙おむつをはいた。
 出動して救出、除染するまで、少なくとも5時間はかかる。助け出す人数が多いと、休みなく出動を繰り返すことになる。いちいち鉛のベストと防護服を脱いでいる余裕はない。
 装甲車の操縦手で2曹の斎藤孝行(さいとうたかゆき)(36)は待機部屋の畳の隅で、立ったまま大も小もやってみた。水分を控え、食事も減らすことにした。


 装甲車に乗るのは操縦手と車長の2人に絞った。
 通常はハッチから顔を出して操縦するが、ハッチは完全に閉める。潜望鏡だけを頼りに運転する。
 操縦席にはバックミラー大の潜望鏡が三つ。死角だらけだ。後ろの車長席には六つの潜望鏡があり、車内無線で車長がサポートする。
 防護シートで覆った席は狭く、身動きが取れない。防護マスクで顔は汗まみれになった。息苦しい。
 熱と閉塞(へいそく)感で吐いた隊員もいた。


第3章 見せず、聞かせず

 「影」の部隊、陸上自衛隊中央即応連隊による東電社員救出作戦。極秘作戦だけに、訓練でさえ誰にも見られてはならなかった。
 当の東電にも作戦は秘匿された。陸幕長の火箱芳文(ひばこよしふみ)(61)は「東電側にはわれわれと連携する余裕はないはずだった。作戦が広まると動揺を招く懸念もあった」と明かす。
 3月21日以降、防護マスクや鉛のベストを素早く着る訓練を繰り返した。ハッチを閉めて装輪装甲車を操縦する訓練をし、東電社員に見立てた隊員が装甲車の屋根へ素早く上れるかどうかもチェックした。
 装甲車に取り付けた拡声機から、救い出す東電社員に呼びかける訓練もした。文言はこうだ。
 「助けに来ましたので、速やかに車両の屋根に乗ってください。落ち着いてください」
 聞かれてはいけない。人の目に触れてもいけない。最初は自然の家近くの工業団地でこっそりやった。住民に見られたため、場所を変えた。福島第一原発から20〜30キロ圏の運動場や町営の駐車場を転々とした。
 26日午前9時半。原発構内へ足を延ばす訓練を初めて行った。
 訓練とは伏せたまま、第一原発までの誘導を東電社員に頼んだ。
 目的は経路偵察、とだけ伝えた。
 ネックは装輪装甲車だった。本番では8台が1列になって突き進むことになっている。だが8輪の強化タイヤを持つ装輪装甲車が8台も連なると、いかにも目立つ・・・

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