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政治・国際
朝日新聞社

紅の党〔4〕 フェラーリ事故で見えた現代中国エリートの肖像

初出:2013年2月18日〜3月5日
WEB新書発売:2013年3月15日
朝日新聞

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 北京市の環状道路で1台のフェラーリが陸橋に激突し、運転していた男性と同乗の女性2人が死亡した。この男性の父親は胡錦濤前総書記の「側近中の側近」とされる令計画だった。胡と同じ共産主義青年団という将来の党幹部が輩出するエリート養成機関の出身だった。令の半生を追いながら、共産主義青年団の実態を明かす。

◇第1章 要職に抜てき、襲った妻子の疑惑/胡氏の側近 失墜の闇
◇第2章 権力闘争 勢い鈍る共青団/フェラーリ事故の波紋なお
◇第3章 崖下の村が故郷 闘争と無縁の10代
◇第4章 就職した工場で頭角、共青団幹部に抜擢
◇第5章 北京で胡氏と出会い、側近中の側近に
◇第6章 深夜の早稲田講堂 設営に細かく注文
◇第7章 「青年を導け」思想教育にマニュアル
◇第8章 学生会幹部に登用「口答えしないから」
◇第9章 動員、ときに禁足 強まる学生への手綱
◇第10章 貧困地区に学生派遣「国家の支柱に」
◇第11章 1枚の風刺画で優等生から転落
◇第12章 30万超す企業に支部「若者包み込め」
◇第13章 若手農民の起業支援、農村の安定化狙う
◇第14章 赤いスカーフは「優秀さ」の証し
◇第15章 「共青団の父」慕う人の墓参絶えず
◇第16章 天安門事件の「呪縛」、今なお解けず
◇第17章 新たな駆け引きの幕開け


第1章 要職に抜てき、襲った妻子の疑惑/胡氏の側近 失墜の闇

 北京市の高級レストランの個室で2007年秋、目鼻立ちのすっきりした女性が、政府系シンクタンクに勤める男性に身を乗り出して言った。
 「私たちの事業に参加してくれたら、私の夫と一緒に食事ができます」
 女性の名は谷麗萍。その夫とは、中国共産党の中央弁公庁主任だった令計画(56)だった。
 中央弁公庁主任は、党員8千万人の頂点に立つ総書記の秘書役で、日本の内閣官房長官にも例えられる要職だ。過去には首相の温家宝(ウェンチアパオ)(70)ら実力者が務めてきた。しかも令は総書記だった胡錦濤(フーチンタオ)(70)と同じ共産主義青年団(共青団)幹部の出身。胡の「側近中の側近」として知られる。
 権力の中核にのし上がった夫の威光を背に、谷は自信に満ちていたという。3年後、谷は共青団傘下の「瀛(イン)公益基金会」の副理事長に就任。関係者によると、基金への寄付額に合わせた「特典」を用意した。
 100万元(約1500万円)→令のサイン入りの色紙を贈呈/1千万元(約1億5千万円)→令も顔を出す食事に招待/1億元(約15億円)→党の中枢機関が集まる中南海で令と記念写真……。寄付は、2年余りで約5億元(約75億円)に上ったという。
 共青団幹部経験者は胡政権で要職に配され、高官子弟「太子党」や元総書記の江沢民(86)ら「上海閥」に並ぶ一大勢力になった。幹部を養成する中央党校の研究者は、谷の基金会の隆盛を「共青団が権力そのものだったからだ」と語る。
 ところが、12年3月、令夫妻の息子が運転するフェラーリが、北京市の環状道路の陸橋に激突。息子と同乗の女性2人が死亡した。
 複数の党関係者によると、令はこのとき、総書記の警護をする中央警衛局の部隊に事故処理をさせた。江らは令が軍を私用に出動させたとして問題視し、胡の監督責任を問う声も上がった。令は12年9月、中央弁公庁主任から格下の統一戦線工作部長に転任。2カ月後の党大会で、確実視されていた党指導部の政治局員入りを逃した。
 中国で1台600万元(約9千万円)は下らないフェラーリを買う資金はどこから出たのかとの疑惑も生じた。「党の取り調べを受けた」との一部報道も出るなか、谷は13年1月末、基金会を去った。基金会の広報担当者は「政治の要素が絡んでいる」と述べ、離任に事故の影響があったことを示唆する。
 さらに、元政治局員に近い司法関係者は「フェラーリは橋脚にぶつかる直前、別の車に追突されていた。単なる事故ではない」とも語る。事故の背後に何かがあったのか――。党内には波紋が広がる。
 令は今、公の場に姿を現し続けているが、部長としての肉声が伝えられることはほとんどない。

□〈中国共産主義青年団〉
 中国共産党の青年組織。略称「共青団」として知られ、団員からの入党はエリートコース。出身者らは党内で「団派」と呼ばれる。団トップの第1書記を務めた胡錦濤前総書記や李克強副首相ら、後に党指導部入りした幹部経験者は少なくない。


第2章 権力闘争 勢い鈍る共青団/フェラーリ事故の波紋なお

 北京市西部にある老舗ホテル北京友誼賓館。背の高いポプラが並ぶ、その広大な敷地の一角で1月19日から3日間、令計画の妻、谷麗萍が副理事長を務める「瀛(イン)公益基金会」の内部会議が開かれた。
 会議出席者によると、谷は1時間近く、基金の運営について演説をしたという。それが副理事長としての谷の最後の姿だった。
 令本人について党関係者は「令氏自身は基金会の資金疑惑には直接かかわっていないようだ」と話す。
 ある国有企業関係者は2008年、令や数人の企業幹部らとともに、会員制の社交クラブに行ったときのことを覚えている。
 食事とマッサージの後、男性が令の料金800元(約1万2千円)を支払おうとすると、令は拒んだという。「これまで何人も高官を接待してきたが初めてのことだ」と同関係者は振り返る。
 共青団幹部経験者らは1990年代、高官子弟「太子党」が腐敗問題で批判を集める中、比較的清廉なテクノクラート集団として台頭した経緯もある。それだけに令を巡る動きが、共青団につながる人々に与えた影響は大きかったようだ。
 中央弁公庁OBで、令の先輩にあたる党関係者はこう話す。
 「フェラーリ事故の波紋は、まだ収まっていない。令は政治的生命を保ったが、権力の中枢ラインからは外れたとみていい」



◎保守派長老ら巻き返す
 02年に総書記に上り詰めた胡錦濤(フーチンタオ)(70)はこの10年、自らの権力基盤である共青団の経歴を持つ幹部を多く要職に起用してきた。しかし、そのたびに、元総書記の江沢民(86)ら保守派長老らの抵抗にあってきたのも事実だ。
 07年の党大会では、胡の共青団時代の直属の部下、李克強(リーコーチアン)(57)を政治局常務委員に引き上げたが、江らの推す習近平(シーチンピン)(59)に「ポスト胡」の座は奪われた。12年の党大会人事でも、常務委員7人のうち、明確な共青団人脈は李克強だけ。江ら長老や太子党の勢力に巻き返された。
 共青団の要職経験者で党人事を統括する党中央組織部長の李源潮・党政治局員(62)は、常務委員入りが確実視されていたが、政治局員にとどまった。
 複数の党関係者によると昇格人事を巡る転機は、12年9月中旬に北京であった最高指導部に長老が加わった非公式会合だった。
 会合で、米総領事館駆け込み事件などの責任を問われた薄熙来(ポーシーライ)・元重慶市党委書記(63)の党籍剥奪(はくだつ)の処分方針が決まった際、保守派長老の一人で元首相の李鵬(84)が発言をした。
 「薄同志の活動をたたえていた人物の責任は問わないのか?」
 李鵬が問題視したのは、李源潮が薄の実績を評価した過去の言動だった。指導部の中で、薄のマフィア一掃運動などを絶賛していたのは李源潮だけではなかったが、党関係者は、李鵬が李源潮に個人的な恨みを抱いていた、と明かす。
 李鵬は山西省常務副省長だった長男の李小鵬の昇格を求めていたが、李源潮はこれを認めていなかった。共青団幹部だった李源潮が89年の天安門事件で民主化を求めた学生らに「断固たる対応をとらなかった」との不満もあったという。武力鎮圧を求めたとされる李鵬らには、「党の存亡を揺るがしかねない存在」(党関係者)と映ったようだ。
 3月の全国人民代表大会では、習が兼務する国家副主席のポストを李源潮に引き渡す方向で調整されている。胡が強く推しており、習も同意したとされる。だが、一部の長老らは反発しているという。
 共青団トップを務めた次期指導者候補、胡春華(49)をめぐっても、広東省党委書記として地元紙「南方週末」の改ざん問題の対応に追われており、「順当に昇格するかどうかは予断を許さない」(党関係者)との見方が出ている。
 閣僚級幹部を親族に持つ党関係者は、共青団出身者らの特徴を、太子党と比べてこう分析する。
 「優等生ゆえに(政治的な)バランス感覚に欠ける。敵をつくりやすく、権力闘争に強くない」

◎共青団、エリート養成機関
 「共産主義青年団は党の忠実な助手で、社会主義政権の支柱だ」
 北京の人民大会堂で12年5月に開かれた共青団の設立90周年式典で、総書記だった胡錦濤は、会場を埋めた党幹部ら約6千人を前にこう語りかけた。
 共青団規約は、自らを「党が指導する先進的な青年の大衆組織」と定めており、将来の党幹部候補の育成が使命とされる。団員は約8千万人。約5億元(約75億円)に上った12年の活動予算のうち約4分の3は、党からの支出だ。
 共青団の研究者で中国青少年研究会の理事を務める石国亮は「共青団(の組織)は全国を網羅している」と指摘する。
 中国全土の教育機関や企業、軍、地方政府などに拠点を設け、将来の党員を養成。若者の組織化も担い、共産党の一党支配を支える。団員出身の経歴は、国有企業への就職などにも有利となる。
 共青団員から共産党員へ。競争を勝ち抜いた政治的なエリートたちは、政府高官や党幹部への道を上っていく。


第3章 崖下の村が故郷 闘争と無縁の10代

 黄河に削られた崖の下に、リンゴとナツメの栽培をする小さな村があった。
 山西省平陸県常楽鎮洪陽村(旧・葛趙村)。川面を吹き抜ける強い風が、黄色い土ぼこりを巻き上げる。周囲の土と同じ色のれんがを重ねた民家が、肩を寄せるように集まっていた。
 胡錦濤(フーチンタオ)前総書記の「側近中の側近」、中国共産党の統一戦線工作部長、令計画は1956年、この村に生まれた。ただ、令の家族について聞かれると、村人たちは一様に困惑したような顔を浮かべる・・・

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