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朝日新聞社

プロメテウスの罠〔27〕 子犬は生きていた! 残された動物たち

初出:2013年3月26日〜4月12日
WEB新書発売:2013年4月25日
朝日新聞

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 原発事故後、避難区域には多くの動物たちが残された。いとしい「家族」であっても、「人命優先」の状況で、ペットの保護は後手にまわった。残された動物たちの保護にやっと進みだした時も、福島県が管理するシェルターは人手も物資も足りず、衛生環境も悪かった。手遅れで不十分だった対応に翻弄された動物たちの「いのちの記録」は、重い教訓を残している。

◇第1章 子犬を掲げて叫んだ
◇第2章 「お父さんのバカ」
◇第3章 ペットは後回しに
◇第4章 80日ぶりに床の上で
◇第5章 20キロ圏内うろつく犬
◇第6章 こいつら心病んでる
◇第7章 「犬も人も救われた」
◇第8章 それでもまた行った
◇第9章 猫の保護は後回し
◇第10章 官民連携は終わった
◇第11章 殺さなくたっていい
◇第12章 「ダメだ。白旗だ」
◇第13章 花を供えて、わびた
◇第14章 犬猫の幸せって何だ
◇第15章 これ野良猫だよね?
◇第16章 人を知らない猫たち
◇第17章 いつ終わらせるのか
◇第18章 教えてくれたこと


第1章 子犬を掲げて叫んだ

 助けられなかった命もある。しかし、目の前の命は俺が守った。
 「うおおおおお」
 2011年3月19日。福島県富岡町の獣医師、渡辺正道(わたなべせいどう)(53)は自宅が立つ丘の上で泣いた。
 手に持つのは生まれたばかりの子犬。町に向かって、子犬を掲げた。大きな声で、思いっきり叫んだ。
 東電、見ろよ。こんな状況でも動物は生きてんだぞ。俺だって立ち上がって、必ず復興させるからな。
 富岡町には福島第二原発があり、第一原発からも渡辺の自宅までは7キロしかない。渡辺は震災翌日の12日に避難し、家に戻ったのはこの日が1週間ぶりだった。
 避難の際、すぐに戻れるだろうと愛犬と、動物病院で預かっていた犬猫計20匹を置いてきた。しかし原発事故は収まる気配がない。今にも爆発するのではと恐怖心はあったが、このままではみんな衰弱死する。危険は承知、考えた末の帰宅だった。
 町に入り、名物の2千本の桜のトンネルを抜けた。角を曲がると小高い丘にぽつんとある動物病院と自宅が見える。ふだんは数百メートル手前でクラクションを鳴らすと、フレンチブルドッグのチェスターとポニョが喜んで出迎えてくれたものだった。
 いつもより長めにクラクションを鳴らしながら、渡辺は思った。
 「どうせもう死んでいる」
 エサは多めにやったが、断水で水は用意できなかった。助かるまい。
 と、庭の片隅で白と黒のかたまりがモコモコと動いた。紛れもなく、チェスターとポニョだ。
 信じられない。2匹は半狂乱でほえている。衰弱した様子だが、ちぎれんばかりに尾を振って。
 ポニョを見ると、身重だった腹がぺったんこになっていた。産んだんだ。庭に入って辺りを探すと、いた。犬小屋と病院の壁のすき間に1匹の黒い子犬が横たわっていた。
 どこから引っ張り出したのか、手袋の上に子犬はいた。まだ目はあいていない。ほとんど乳を飲めていないようで、体は冷たく、ひからびたようになっていた。あと1日遅れたら、確実に死んでいただろう。
 もう1匹身ごもっていたのを以前エコーで確認していたが、どこを探しても見当たらなかった。カラスにでも食べられてしまったのか。
 でも、一つの命は守った。


第2章 「お父さんのバカ」

 原発の「げ」の字もなかった。
 「今すぐ避難してください!」
 2011年3月12日朝、防護服姿の警察官が、パトカーからしきりに呼びかけていた。
 前夜、福島県富岡町の獣医師、渡辺正道は、妻や娘と車中で夜を明かした。大津波は川をさかのぼり、丘に立つ自宅前まで押し寄せていた。
 政府は前夜、原子力緊急事態宣言を発令していたが、そんな情報は届いていない。大津波は収まったのに、今さら何から避難するんだろうと不思議に思った。
 どうせすぐに戻れる。替えの下着も持たずに避難しようとした。
 「ポニョも連れて行こうよ」
 中学3年の次女、怜菜(れいな)は身重の愛犬を連れて行きたがった。翌日には帝王切開での初産を控えていた。
 「置いていく」
 即断だった。
 当時、渡辺の動物病院では17匹の犬猫を預かっていた。すべてを車に乗せることはできない。この子たちを置き去りにして自分の犬だけを同伴することは、獣医師としてできない選択だった。
 「バカ、バカ。お父さんなんか死んじゃえ」。怜菜は泣きじゃくり、正道とは口をきかなくなった。
 避難先の川内村でテレビを見て、初めて原発が事故を起こしたと知った。以後、一家は各地を転々とする。すぐに帰れるという予想は打ち砕かれた。
 決死の覚悟で渡辺が1週間ぶりに戻った3月19日、病院のケージにいた17匹のうち犬猫5匹は、既に息絶えていた。高齢や病弱のため、持ちこたえられなかった。


 その中には、渡辺が2月に脾臓(ひぞう)摘出の手術を終えて預かっていたラブラドルもいた。術後の経過が良好だっただけに、飼い主に事実を伝えるのは気が重かった。
 1人ずつ電話で連絡した。渡辺が避難したあと、入れ違いでペットを迎えに来て、巡り合えなかった人もいた。どの飼い主も正面切って渡辺をなじりはしなかった。だが、遠慮がちに「もう少し早く連れ出せなかったの?」と言う人もいた。
 泣いてわびるしかなかった。
 飼い主たちも全国に避難し、散り散りとなっている。生き残った犬や猫の面倒を見られるのは、もう自分しかいない。
 渡辺は、数回に分けて犬や猫を連れ出した。妻の実家がある三春町で納屋を借り、世話を続けることにした。


第3章 ペットは後回しに

 福島県富岡町の獣医師、渡辺正道は避難者のペットが気になった。多くの避難者がいる郡山市の避難所を回り、顔なじみの飼い主と再会した。だがペットの姿はなかった。
 「町のバスに乗る際、犬は置いていくように言われた」
 「すぐに帰れると思ったから、水しか用意してやれなかった」
 みんな、泣いていた。
 ペットを連れてきた人もいた。避難所はペットの持ち込みは禁止。駐車場で寒さに震えながらひっそりと車中生活を送っていた。ペットも腹を下していたが、何より飼い主たちの疲れ切った様子が目についた。


 「置いてきたのも、連れてきたのも生き地獄だな」
 見かねた渡辺は声をかけ、三春町に借りた納屋でペットを預かることにした。宅配便も届かない中、大学の同窓生らが持参してくれた物資で何とかしのいだ。
 それでも40匹近くの犬猫の面倒をみるのは限界がある。4月5日、福島市にある県獣医師会に足を運び、協力を求めたが、断られた。
 「会員の安否を確認するだけで、手いっぱいなんですよ」
 帰り道、20年来の付き合いのある福島市の開業獣医師・河又淳(かわまたじゅん)(53)を訪ね、ひとしきり愚痴った。
 河又も3月下旬から市内最大の2400人が避難するあづま総合運動公園に通っていた。やはり車中生活を送る飼い主たちにペットフードを配り、ワクチンを打つボランティアをしていた。
 飼い主の間には「ペットが見つかったら保健所に殺処分される」とのうわさが流れ、河又の申し出を「県のワナじゃないか」と思い込むほどにおびえていた。
 確かに県の動きが見えない。避難所に駐在していた県職員に、ペットへの対応について尋ねた。
 「人命が優先なんです。いまは動物の話などしないでほしい」
 渡辺と河又は、「これは長期戦になるな」と途方に暮れつつ、励まし合って別れた。
 動物愛護を担う県食品生活衛生課は3月、混乱の極みにあった。
 なにしろ担当分野が食品、水道から墓地・埋葬業務にまでわたっている。水道の復旧、火葬場の確保、食品からの放射性物質の検出……。さまざまな仕事が降りかかっていた。
 動物愛護の担当職員2人も、避難所での感染症防止マニュアルの作成などに追われた。ペットへの対応は後回しになった。


第4章 80日ぶりに床の上で

 福島県で動物救護本部ができたのは、震災から1カ月あまりがたった2011年4月15日だった。震災後10日前後で発足した宮城や岩手のように事前の協定がなく、組織間の調整に手間取った。
 対照的だったのが、1万人規模の避難者を受け入れた新潟県だ。
 中越、中越沖と2度の地震で得た経験を生かし、新潟は震災後1週間で動物救済本部を設置した。全30市町村でペットの受け入れ態勢を整え、避難所では犬や猫と一緒に過ごすことができた。
 5月に入ると、福島県食品生活衛生課にはこんな問い合わせがくるようになった。
 「福島の避難所は、ペットと一緒に入れないんですか?・・・

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