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朝日新聞社

プロメテウスの罠〔22〕 中ぶらりんのまま、また年を越す

初出:2012年12月26日〜12月31日
WEB新書発売:2013年4月25日
朝日新聞

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 震災から2度目の正月を前に、被災地の暮らしはまだ中ぶらりんのままだ。福島第一原発の近くに本社と工場があった餅専門店は、新工場を造るめどがまだ立っていない。使えなくなった田畑に太陽光パネルを設置する試みもまだ期待半分、不安半分だ。先の見定められない不安のなか、仮設住宅での暮らしが続く。

◇第1章 個人貯金で資金繰り 
◇第2章 使えぬ田畑で発電を
◇第3章 火怖くてカップめん
◇第4章 測定値が示す現実
◇第5章 魂さえ家に帰れない
◇第6章 「仮設では死ねない」


第1章 個人貯金で資金繰り 

 年の瀬が迫り、福島県南相馬市の木幡喜久雄(こわたきくお)(64)は超多忙な日々を送っている。中でも金繰りには頭が痛む。「28日までに賠償金の一部が入るかどうか。入らなかったら、他から金を調達しないといけません」
 木幡は福島、宮城で9店舗を展開する餅専門店「木乃幡(このはた)」の創業社長だ。地元の「凍(し)み餅」をドーナツ風にした「凍天(しみてん)」が人気で、年間売上額は3億6千万円に達していた。


 本社と工場は福島第一原発から19キロの場所にあった。警戒区域内だったため、立ち入りも不可。従業員の解雇を防ごうと、凍み餅を九州で作ってもらって営業再開したものの毎月赤字が続く。頼みの綱は東京電力の賠償金だが、いまだに入らない。
 「東電は『賠償根拠を証明しろ』の一点張りです。被害者のこっちが証明しなければならない。しかも説明しても納得をしてくれません」
 銀行に融資を頼むには2011年度の決算が要る。しかし……。
 「6月には決算ができてなきゃいけないんですが、私が宮城に、事務員が山形に避難していてなかなか進まないんです。週3回、福島に出てきてやってるんですが」
 事故前、たまたま銀行から運転資金2千万円を借りていた。事故後、新工場の用地購入に1億円借り、うち3千万円を運転資金とした。それでも足らず、今は自身の貯金をつぎ込んでいる。その額、3千万円。
 震災時、木幡は本社にいた。外に飛び出ると目の前の自宅がすさまじく上下していた。だが本当の恐ろしさはそれからだった。市の沿岸に巨大津波が襲いかかった。高校の卒業式を終えた娘と車で走っていた従妹(いとこ)が、娘と一緒に亡くなった。浪江町の消防団員だった長女の夫も亡くなった。「親戚が23人死にました。ずいぶん亡くなりました」。津波が去ったと思ったら放射能がきた。
 新工場は宮城県内に造ることにした。食品をつくる以上、南相馬では難しいと判断した。「安全な品をつくっただけではだめなんです。お客さんに安心して買ってもらうには南相馬の名は当分外すしかない、と」
 南相馬は先祖代々の地。いつかは帰ろうと思うが、いつになるかは全く分からない。賠償金が入らないと新工場を建設する資金もない。
 中ぶらりんのまま、震災から2度目の正月が来る。


第2章 使えぬ田畑で発電を

 「木乃幡」の木幡喜久雄がほっと落ち着く場所がある。福島市野田町の喫茶「椏久里(あぐり)」。原発事故前は飯舘村にあったが、全村避難で村を出た。今は仮店舗での営業を続ける。
 経営者の市沢秀耕(いちさわしゅうこう)(58)と木幡は昔からの知り合いだ。たびたび酒を酌み交わして経営を語り合った。
 2012年12月4日、市沢はあることを決めた。飯舘の自宅近くに10キロワット分の太陽光パネルを設置する決断だった。20×5メートルほどの木の土台に太陽光パネルを張り、できた電気を売る。仲のいい家族と岐阜県まで行って視察し、導入を決めた。
 かかる費用は800万円。月2万7千円の収益が上がる計算だが、あくまで推測に過ぎない。
 「試験です。可能性を探りたいんです。誰かがやってみないと成功するかどうか分かりませんから」
 農家に生まれ、家を継ぐため福島市の農業高校から島根大農学部に進んだ。静岡の会社に就職したが、数カ月後に「祖父危篤」の電報。慌てて戻ると、翌日が村職員の試験日だった。だまされたと分かった。
 役場に入り、農家も継いだ。20年前に役場をやめ、県職員だった妻の美由紀(54)と自宅前で「椏久里」を始めた。こんな場所でコーヒー専門店なんて絶対無理。無謀。多くの人にそういわれたが、成功する。
 農業との兼ね合いは大変だった。周りで田植えが進むのを見て焦り、稲刈りが遅れて焦った。やがて田を貸し、畑には6年前からブルーベリーを植えた。苦労を重ねて1200本まで増やし、喫茶にジャム工房を併設。さあこれから本格収穫を、という矢先に原発事故が起きた。
 福島市に身を落ち着けたあと、考えたのは田畑のことだった。
 「われわれにとって、土地は預かり物なんですよ。先代から預かり、次の世代に渡す。だからもうからなくても農業するわけですよ」
 長男に渡す土地が荒れ果ててはいけない。ならばどうするか。
 水田と畑で3・7ヘクタールほど。考えた末、行き着いたのが太陽光発電だった。これなら放射能は関係ない。
 「将来、都市の人からお金を募って農地に太陽光パネルを敷きつめることも可能ではないか、と。そのための実験です。何かをやっていかないと飯舘はだめだと思うんです」
 実験地は「椏久里」裏の原野にした。農地では国の規制がかかる可能性があると考えた。
 設置は雪解け後。期待半分、不安半分で年を越す・・・

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