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朝日新聞社

刑事の結界 第2部〔1〕 たった一度の極刑、うずいた勘の苦々しさ

初出:2013年3月28日〜4月17日
WEB新書発売:2013年6月14日
朝日新聞

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 小柄で寡黙だが、内に秘めた熱さはヤマの男そのもの。北海道の炭坑町に生まれた「武骨者」が2013年春、神奈川県警を引退した。捜査畑を歩み続けて30年。長い刑事生活の中で、唯一極刑となった男がいた。物語の始まりは2001年夏。48歳だった刑事は母子殺害事件の容疑者を追い、故郷の北海道へ向かった……。迫真の事件現場や捜査の舞台裏を克明に描いた「刑事の結界」、待望の新シリーズ。

◇第1章 北へ
◇第2章 道しるべ


第1章 北へ

 日本列島に大型の台風11号が近づいていた。神奈川でも雨脚が強まっていた。窓のそばに立つと、ビョーッと悲しい鳴き声のような、風のうねりを感じる。
 2001年8月21日朝。県警捜査1課火災犯捜査中隊、通称「火災中隊」の警部補、佐藤則政(48)は、当直明けを1課分室で迎えた。
 分室は横浜市内のビルの一画にある。当直は刑事2人だ。実に単純な仕事だ。深夜の張り込みに出かける捜査員の車を見送り、早朝にはシャッターを開けて出迎える。夜中、街を消防車が走り回っていないか、部屋にいながらサイレンの音を拾う。
 迫る台風とは裏腹に、世の中は静かだった。昼前には帰り支度を始めた。
 佐藤は捜査1課に配属となって、6年目を迎えていた。放火事件を手がける火災中隊だったが、殺人事件も数多く割り当てられた。当時、神奈川では「殺し」が続き、五つあった殺人担当の中隊だけでは間に合わなかったからだ。火災中隊とはいえ、事件を解決できる「ツキがある」中隊だと、もっぱらの評判だった。
 中隊には、班長と呼ばれる警部補が2人いる。佐藤はその筆頭班長として、捜査員の配置、それに容疑者の取り調べをする立場にあった。
 テレビのニュースは、紀伊半島が風速25メートル以上の暴風域に入ったと伝えていた。高波や突風の映像は、そこに迫ってくるようだった。
 平日の昼だった。台風が来るこんな日は、だれもが外を出歩かず、じっとしているものだ。事件はないだろう――。分室を出た佐藤は、雨に降られながら足早に駅まで向かった。JRを乗り継ぎ、1時間ほどで自宅近くにある駅に到着した。
 一方、横浜から西へ35キロにある伊勢原市。駅からほど近いアパートの一室。ここに住む母子と連絡がつかない――。親族と名乗る女性が、伊勢原署を訪ねた。署員は女性とともに母子宅に向かった。
    ◇
 風雨が激しくなってきた。当直を終えた捜査1課の佐藤則政(48)は、電車を降り、駅の改札を出た。ほど近い自宅まで歩いた。
 2人の息子はまだ学校のようだ。妻はパートで留守にしていた。鍋に湯を沸かす。みそ味のインスタントラーメンの袋をさっと開ける。ネギとソーセージを入れ、卵を落とし、3分ほど煮込む。調味料を混ぜてできあがり。勢いよく箸を運ぶ。
 居間のテレビの前は指定席だ。ジャージーに着替えた佐藤は、新聞を広げる。こうやってくつろぐのが、当直明けのスタイルだ。
 ほどなく、テーブルに置いた携帯電話が、けたたましく鳴った。画面をのぞくと中隊長の佐藤美幸(49)の名前が表示されている。
 「何かあったな」
 事件だ。出動だろう。
 「伊勢原のアパートで母と娘の遺体が見つかった」
 中隊長の口調は重かった。
 佐藤の相棒である5歳年下の巡査部長が、車で迎えに来る。ワイシャツにネクタイを締め、トレードマークのタイピンとカフスをつける。スーツを羽織る。どんなに暑くても、この格好は変えない。
 30分ほど待っただろうか。
 「着きました」
 相棒から到着の電話が入る。
 雨脚が強まってきた。佐藤はサッと助手席に乗り込んだ。
 殺しじゃないといいがな――。
 殺人事件なんて起こらない方がいい。だが、それはかなわぬ願いだとわかっていた。2人の遺体が見つかり、佐藤ら捜査1課が現場に呼ばれる。それは、事件の発生を意味している。
 フロントガラスには、大粒の雨がいっせいに押し寄せてくる。ワイパーがせわしく動く。
 佐藤が現場に着いた。アパートの1階の一室だ。佐藤の目には、慌ただしい鑑識作業がチラチラと入ってきた。
 事件の概要が分かった。2週間連絡がつかない母子の安否を心配した親族の女性が、伊勢原署員と部屋に入った。母子2人は、8畳和室に敷かれた布団の上に仰向けに倒れていた。刺し傷があり、すでに死亡していた。
    ◇
 伊勢原市のアパートでは、2階の廊下から、ブルーシートが垂らされた。殺人事件の現場となった玄関を、カーテンのように覆っていた。台風11号による強風にあおられるように、シートは幾度となくめくれあがった。
 掃き出し窓はカーテンがぴったりと閉められる。作業の様子は部外秘だ。
 真夏の室内は、うだるように暑い。それでも鑑識課員は長袖に長ズボンのいでたちだ。ビニール製の手袋をはめ、スリッパを履く。頭髪が落ちないように、頭部にはネットをかぶせる。頭皮にたまる汗も垂らせない。タオルをはちまきのように頭にギュッと巻いた。
 指紋もひとつ残らずあぶり出す。タンスの引き出しをすべて開け、衣類や小物までひとつずつ取り出していった。
 鑑識作業が終わるまでは、刑事でも現場に足を踏み入れることはできない。現場に多くの人が立ち入ると、容疑者の痕跡が消えてしまう恐れがあるからだ。
 「鑑識は1日では終わらないだろうな」
 佐藤則政は傘をグッと握りながら、アパートの周囲をぐるっと歩き回った。周辺の地理をざっと頭に入れ込むためだ。
 まもなく、伊勢原署に向かった。3階の講堂に駆け上がった。すでに机が並べられ、準備が整っていた。「帳場」と呼ばれる捜査のための部屋だ。
 先に到着していた機動捜査隊員や捜査1課員らは、遺体が見つかったアパートを中心とした大きな地図を作っていた。
 佐藤は、シマの一つに陣取った。佐藤のいる火災中隊は、幹事中隊として投入されていた。捜査1課が入る帳場が立つ事件では、中心となって動く「幹事中隊」と、聞き込みといった初動捜査に加わる別の中隊で組織される。
 上司の中隊長はまだ現場にいた。班長の佐藤は捜査員の配置を組み立てなければならない。遺体の発見現場を見た署員が、すでに遺族に事情聴取をして、調書をつくり始めていた。その署員の元に部下を立ち会わせ、情報収集に入った。
    ◇
 「娘まで殺されるなんて、何があったんだ」
 事件は中学1年の女子生徒が巻き込まれていた。帳場にいた佐藤則政は、思案した。
 二人は布団の上に仰向けに倒れていた。「二人同時に殺害か。それとも別々か」――。脳裏に浮かんでは消えた。
 一夜明けた。台風11号は早朝に三重の志摩半島を通過し、午後にも神奈川に上陸する進路を取っていた。
 伊勢原署3階の講堂に設けられた帳場の窓には、ゴウゴウと強い風が吹き付けた。雨音は激しさを増した。
 検視の結果が手元に届いた。遺体は悲惨な状態だった。娘は背中を包丁で刺された後、首を絞められていた。母親は頭をハンマーで殴られ、ペティナイフで何度も刺されていた。
 佐藤は、資料からさっと目を離した。取り調べはおそらく佐藤になるだろう。傷の状況や凶器の形状をくわしく知ってしまうと、容疑者を誘導することにもなる。容疑者から聞き出すためには、先入観は持たないことだ。佐藤なりの流儀であった。
 死後2週間ほどたっていた。
 発見される前には、新聞販売所に「しばらく留守にする。連絡するまで新聞は入れないでほしい」と、男の声で電話があった。母親の勤務先だったパチンコ店には「身内の者だが、階段から転んでケガをした。仕事を休む」と、同じような声で連絡が入った。
 容疑者はすぐに浮上した・・・

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