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文化・芸能
朝日新聞社

富士山頂、県境は消えた 世界が知らない「日本一の山」

初出:2013年5月30日〜6月5日
WEB新書発売:2013年6月21日
朝日新聞

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 世界遺産への登録が決まった富士山。登ったことはなくても、その姿やあの歌は誰もが知るところだろう。でも知られていないことも、まだまだ多い。山梨県と静岡県の争い、測候所から消えた人影、300キロ先から見えたシルエット、最初の「銭湯富士」……。サムライ、スシ、ゲイシャといった日本の旧来イメージ群から一歩抜けだし、世界に羽ばたく時を迎えた富士山をたどる。

◇第1章 頂上、かつて静岡だった
◇第2章 一万二千尺の測候魂
◇第3章 南西へ322.9キロ、拝めた
◇第4章 江戸っ子がほれ込んだ
◇第5章 作家は「変哲ない山」と呼んだ


第1章 頂上、かつて静岡だった

 日本一の富士見スポットはどこか? 2010年に朝日新聞が行ったネットアンケートで、1位は山梨県の河口湖。2位は、静岡県の三保松原(みほのまつばら)だった。
 山梨で富士を見て育ち、今は静岡で暮らす私としては、両県が競り合っていると聞くと、じっとしていられなくなる。
 県境問題もその一つだ。日本一の頂上は、どちらなのか。
 確かめたくて東京・九段にある国土地理院を訪ねた。最新の地図を見る。国内最高地点、3776メートルの剣が峰の北側から、山頂東の小富士までの東西約5キロは、県境ラインがない。県境が確定していないからだ。
 保存される最も古い地図も見た。1887年、明治20年測量の地図。静岡と山梨の県境ラインは、火口の北側を東西に走っていた。最高峰の剣が峰をはじめ、山頂にある奥宮(おくみや)、火口部分はすべて静岡側に入る。
 ところが1928(昭和3)年の修正版を見ると、現在のように県境が消えていた。
 何があったのか。静岡県が1972年にまとめた資料に経緯が触れられている。
 「大正11(1922)年に疑義が出たため修正が加えられ、大正14(25)年7月、今日に及ぶ地図が発行された」
 どこから疑義が出たか、今となっては分からないという。ただ、昭和に入って山梨県側が登山客誘致のため登山道の改修を始め、静岡県側の須走村(現小山町)が反発。「駿甲の国境争いが再燃」し、話し合いが持たれたが、日中戦争が始まり、立ち消えになった、とある。
 争いは江戸時代、甲斐(かい)と駿河のころからあったようだ。「古くは元禄年間における訴願」「安永元年から約8年間にわたる争い」「弘化年間の争論」……。もめ続けてきたことが古文書に記されていたという。
 ラインはなぜ引かれ、消えたのか・・・

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