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朝日新聞社

甲子園の伝説・しんきろう旋風 魚津高校野球部1958年夏

初出:2013年1月1日〜6月30日
WEB新書発売:2013年7月19日
朝日新聞

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 甲子園にはさまざまな伝説がある。そのなかでも1958年夏の準々決勝、延長18回引き分け再試合になった徳島商―魚津戦は、いまも名勝負として語り継がれる。「しんきろう旋風」と呼ばれた魚津高校野球部の強さの秘密を当時を知る人たちとともに解き明かす。シベリア抑留体験のあった監督や野球好きの風土など、「伝説」の背景が浮かび上がる。

第1章 いま語る、1958年夏
第2章 若き名将、シベリアで抑留
第3章 別離から3年、涙の再会
第4章 待ち望んだ野球の仕事
第5章 村椿少年、野球に没頭
第6章 基本大事にチーム作り
第7章 「疲れても本を読め」
第8章 強くなるため手尽くす
第9章 甲子園、徐々に身近に
第10章 滑川に先を越される
第11章 あと一歩、目前でつまづく
第12章 県外強豪と練習試合
第13章 大火乗り越えた結束力
第14章 雨でも雪でも、体づくり
第15章 主将の一言で本領発揮
第16章 雪辱の舞台、栄冠輝く
第17章 初戦の相手は優勝候補
第18章 堂々の入場行進、感激
第19章 強豪浪商に完封勝ち
第20章 明治戦3―3で終盤へ
第21章 1点差守った猛ダッシュ
第22章 「打倒」の張り紙に一喝
第23章 ベンチへ無意識におじき
第24章 伝統のマナー、評判呼ぶ
第25章 徳商戦、好投光り延長へ
第26章 18回、「宮武野球」真骨頂
第27章 球史に残る延長再試合
第28章 計27回の激闘、悔いなし
第29章 努力と熱意、新たな世代へ


第1章 いま語る、1958年夏

◎「18回で終わり知らなかった」

村椿輝雄さん(72歳)・魚津OB

 1958(昭和33)年、夏の甲子園。全国高校野球選手権大会・準々決勝の徳島商―魚津戦は延長18回0―0で互いに譲らず、引き分け再試合となった。初出場の魚津の快進撃は「しんきろう旋風」と呼ばれ、今も高校野球史に残る名勝負と語り継がれる。甲子園での県勢は、1986年に新湊が春の選抜でベスト4入りしたが、夏の選手権はベスト8が最高だ。選手権が2013年夏、第95回記念大会を迎えるのを機に、半世紀前のチームの「伝説」の背景を探りたい。連載を始めるにあたり、当時の魚津のエース、村椿輝雄さん(72)にインタビューした。



 ――なぜ魚津高校に。

 黒部の生地の出身で、生地中学校(現・黒部市立高志野中)に入学。野球部で活躍できた。友達より体が大きく、肩が強かったからでしょう。2年から投手をやり、地域の大会などで優勝した。高校には、甲子園に出る可能性がある学校に行きたかった。当時の魚津高校は、甲子園にはまだ行ってなかったが、強かった。それで市を越えて受けたんです。

 ――魚津の野球部ではどんな練習を。

 名監督として知られていた当時の宮武英男監督(故人)は、怖い感じで話す機会もなかった。1年の秋、練習中に宮武監督に呼ばれて打撃投手をさせられた。制球力には自信があったので、打ちやすい球を投げた。それがよかったのか、翌日から投球練習ができた。それでも、練習は体力づくりが基本。冬は毎日ひたすら走り、シャドーピッチングを1時間も2時間もしました。

 ――初出場の甲子園で、マナーのよさが話題になりました。

 3アウトをとってベンチに戻る前、野手からボールが来るのをマウンドで待った。来たボールを、腰を落としてマウンドの穴が掘られているところにそっと置いた。先輩がやっていたことを引き継いでやっただけ。それと、宮武監督から「道具を大切にしなさい。そうしないとうまくならない」と言われていたから。チームメートはみんな普通にやっていた。魚高の伝統です。

 ――甲子園初出場の魚津が初戦から強豪を破って準々決勝まで進めた要因は。

 当時、県内の大会などでよく上位にいっており、県外の強豪校とも練習試合をした。日大三(東京)をはじめ甲子園で当たった明治(同)、桐生(群馬)とも試合をした。近くに滑川という強いライバルがいたのもよかった。勝負は、対戦相手よりよく練習してうまくならない限り勝てない、ということを肝に銘じていた。



 ――延長18回、再試合となった徳島商戦の思い出は。

 延長戦が18回で終わって再試合になることを、試合途中の16回に教えてもらうまで知らなかった。「いつ点を取られるか」と冷や冷やしながら投げていたので、終わったときはほっとした。板東投手は、童顔でダイナミックな投げ方をした。彼は、投げるのが楽しくて仕方がないように見えた。翌日の再試合は4回途中から登板したが、6回に打たれた。思うような球が投げられなかったが、全力は出し尽くせた。




 ――今の県内の高校野球について思うことは。

 強くなるための方法を高校生に話して欲しい、と頼まれることがあるが「それは無理でしょう」とまず断ります。甲子園に行くため強くなるには小学3、4年生くらいから基礎体力をつけなくてはいけない。県全体で小中学校から視野を広くして底辺を上げていかなくては。いい指導者を育てることも必要です。急にはできないので時間をかけてもいい。宮武監督でも監督就任から(甲子園出場まで)約7年かかりました。

◎準々決勝18回への道程
 魚津は1958年夏、記念大会となった第40回全国高校野球選手権の富山大会決勝で滑川に8―3で勝利。初めて各都道府県と米軍占領下の沖縄から1校ずつ出場となった第40回記念大会で甲子園初出場を果たした。
 宮武英男監督(故人)が率いるチームは、1回戦で優勝候補の浪華商(大阪)に2―0で勝利。村椿輝雄投手が4安打完封した。2回戦は明治(東京)に7―6と計10安打で打ち勝った。桐生(群馬)との3回戦は、9回に盛本栄光主将の3点二塁打で3―0で快勝。
 準々決勝の徳島商戦は延長18回0―0で決着がつかず、この大会からの規定でいったん打ち切りとなった。徳島商の板東英二投手はこの試合で25奪三振の新記録を作り、卒業後プロ入りした。翌日の再試合で魚津は、1年生の森内正親投手(故人)が先発。1点を奪われた4回途中から村椿投手が登板。6回に徳島商の連打に失策も絡み2点を奪われ、1―3で敗れた。
 魚津は翌59年夏、2年連続で甲子園に出場したが、1回戦で強豪の平安(京都)に1―3で敗退。その後は出場していない。




◎選手権大会、延長再試合の歴史
 1958年の第40回大会から、規定により、延長18回で決着がつかなかった場合は再試合となった。魚津―徳島商戦後は、64年開幕試合の掛川西(静岡)―八代東(熊本)、69年決勝の松山商(愛媛)―三沢(青森)がある。
 2000年からは延長15回までとなり、田中将大(現・楽天)、斎藤佑樹(現・日本ハム)両投手が対決した06年決勝の駒大苫小牧(北海道)―早稲田実(東京)が印象深い。07年に逆転満塁本塁打で優勝した佐賀北は、2回戦の宇治山田商(三重)戦で延長15回・再試合をしている。
 再試合まではいかなかった名勝負では、延長後に2死から同点本塁打が2回出るなどした79年3回戦の星稜(石川)―箕島(和歌山)の延長18回サヨナラ、松坂大輔投手が春夏連覇した98年準々決勝の横浜(神奈川)―PL学園(大阪)の延長17回などがある・・・

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