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朝日新聞社

広島・長崎と福島をつなぐもの 断絶を超え、核といのちを考える

初出:2013年8月1日〜8月6日
WEB新書発売:2013年8月23日
朝日新聞

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 福島原発事故後、広島県に避難し、福島の住民が一時休暇で使えるシェアハウスを作った福島県民がいる。原発事故を期に、米国で広島での被爆体験を語った在日韓国人もいる。広島・長崎で被爆体験者が減っても語り継ぐことを考えている人々がいる。唯一の被爆国だが核利用を推進してきた日本を、世界の視点から見つめ直す若者もいる。被爆から68年。世代や国や断絶を超え、原爆と原発、戦争と過酷事故をつなぎあわせて「核なき世界」を真摯に追求する様々な人々の活動や思いを伝える。

◇第1章 被爆と被曝、つなぐ心 広島にシェアハウス
◇第2章 在日被爆者、願いは一つ
◇第3章 異論排する空気、懸念
◇第4章 語り部老い、継承の危機
◇第5章 矛盾直視する若者たち


第1章 被爆と被曝、つなぐ心 広島にシェアハウス


 福島第一原発で事故が起きた2年前。福島市に住んでいた等々力(とどろき)隆広さん(50)は生まれたばかりの息子への影響を考え、妻と子を妻の故郷、広島へ避難させた。自らも昨春に合流し、広島県西部の廿日市市で暮らす。しかし、見えない放射線の現実に再び向き合うことになった。
 2013年4月中旬、広島県安芸太田町。等々力さんは、放射性物質を含む「黒い雨」の被害を訴える住民の会合に初めて参加した。「国は都合のいい資料しか見ない」「なぜ実地調査をしないのか」。集まった約20人の住民は、口々に声を上げた。
 広島への原爆投下後、「黒い雨」が周辺に降った。国は1976年、南北19キロ、東西11キロの範囲について特に雨量が多かった地域と指定。地域内でがんなどを発症した住民を被爆者と認め、援護対象にした。
 しかし指定外の地域の住民は被爆者と認定されなかった。広島県や市は独自の調査で、「黒い雨」が降った範囲は国の指定より6倍の広さに及ぶと指摘。援護対象の拡大を求めたが、厚生労働省の検討会は12年夏、「科学的根拠がなく拡大は困難」と結論づけた。
 「内部被曝(ひばく)、低線量被曝など共通点について勉強したい」。等々力さんは会合で語りかけた。投下後の約5カ月で14万人が亡くなった原爆と、2年4カ月経った今も放射性物質を出し続ける原発事故は「一緒にくくれない」と思う。
 広島の被爆者にも「原発事故と原爆は同一視できない」との声はある。だが、等々力さんは「黒い雨の被害」の訴えを聞き、福島で直面した「住民の不安にこたえない国」の姿に重なるものがあると感じた。
 等々力さんの自宅があったのは、福島第一原発から約50キロの福島市内。福島県によると、避難指示区域外の同市などからも、放射線の影響などを心配して故郷を離れた人は約3万人に上る。
 広島で「黒い雨」の被害を訴える住民らは35年前から活動を続けている。等々力さんは「広島を思えば、福島の苦しみもずっと続くだろう。放射線被害の教訓を双方がわかち合うことはできないか・・・

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