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朝日新聞社

日本のカレーはなぜうまいのか 国民食に命を賭けた男たち

初出:2013年8月16日〜8月26日
WEB新書発売:2013年9月6日
朝日新聞

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 カレー料理は、インドを植民地としていたイギリス経由で日本に伝わった。ただ、カレー粉もカレーライスも、イギリスの発明品だった。それが日本に伝わり、国民食となるまでには、多くの先人たちの努力の蓄積があった。「八重の桜」に「会津の宝」として登場、米国留学の途上、日本人として初めてカレーライスを食したと言われる山川健次郎から、知識ゼロから研究を重ね、19歳で本格カレー粉を世に送り出したエスビー食品の創業者・山崎峯次郎、当時流行中の健康法にあやかったネーミングで大成功した「バーモントカレー」の生みの親、ハウス食品の浦上郁夫、ほうろう看板で爆発的ヒットを呼び込んだレトルトカレーの「ボンカレー」、現代の「東京カリ〜番長」まで、国民食を支えた男と女たちの群像を描き出すルポ。

◇第1章 辛さ抑えて「ヒデキ感激」
◇第2章 インド人もビックリ!?本格派
◇第3章 3分待てば「ご当地の味」
◇第4章 白虎隊もおじけづいた
◇第5章 南極の金曜日は、100年の味
◇第6章 何でもありなのだ!


第1章 辛さ抑えて「ヒデキ感激」

 詩人で歌人で劇作家でと、あれこれ肩書の多い寺山修司によると、ライスカレー人間は現状維持型の保守派が多いのだとか。これに対し、ラーメン人間は欲求不満型の革新派という。
 その理由を評論集「書を捨てよ、町へ出よう」でこう書く。
 「ライスカレーが家庭の味であるのにくらべて、ラーメンが街の味だからかもしれない」
 50年近く前の本なのに、両者の立ち位置を的確に言い当てている。それどころか、この言葉が指し示す方向により深化しているのではないか。カレーライスは簡単には捨てられないほどの「家庭の味」に。
 1962年3月、ハウス食品工業(現ハウス食品)の副社長だった浦上郁夫は、開発担当者が試作したカレーを口に運んだ。リンゴとハチミツを加えて辛さを抑えてある。「よし、これでいってみようか」
 日本は高度経済成長のただ中にあった。食卓の主導権はもはや父親にはない。狙いは子どもと若い女性に絞った。
 ただ、当時のカレーは辛かった。カレーは大人の食べ物、子どもはハヤシライスというのが各メーカーの姿勢だった。浦上は以前から「子どもにカレーを食べさせるときは牛乳を入れている」といった話を聞いていた。今と違って辛いのは苦手という女性も多かった。
 社内の反発は強かった。「辛くないカレーなんてつくってはいけない」。開発が正式に決まってからも、担当者に言ってくる役員がいた。
 ハウス食品でカレーの味を管理してきたソマテックセンター研究主席の白水崇(57)によると、「辛さ」には全体の味を引き締める役割がある。ごはんの甘さや野菜のうまさをまとめながら、芯の通った味に仕上げる。辛さを抑えてそれを実現するのは至難の業という。
 商品名は「フルーツカレー」に決まりかかっていた。開発段階でバナナやミカンなどの果実、エキスを試したからだ。ところが、その頃、米バーモント州に伝わるというリンゴ酢とハチミツを使った「バーモント健康法」に関心が集まる。浦上が断を下した。「バーモントカレー」。美容と健康に良さそうな印象を与える名前だった。
 63年に発売。その後、西城秀樹を起用した「ヒデキ、カンゲキ!」などヒットCMの後押しもあり、半世紀にわたってトップブランドの座に君臨している。今もハウス食品の年間売り上げのほぼ1割にあたる200億円を稼ぎ出す。
 消費者の超保守的な購買パターンにも要因がある。「いつもと違う」と言われるのが嫌で、なじみのパッケージを手にしてしまう。だから家庭で食べるカレーの銘柄はめったに変わらない。初めてのルーを買うには冒険する覚悟が求められる。
 浦上は66年に創業2代目の社長に就任。85年8月12日、日航ジャンボ機墜落事故で亡くなった。47歳だった・・・

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