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朝日新聞社

ホンダF1復帰の起爆剤 軽自動車9センチのこだわり

初出:2013年8月28日〜8月31日
WEB新書発売:2013年9月13日
朝日新聞

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 ホンダF1レース復帰の起爆剤は、三重県鈴鹿製作所が開発した軽自動車NBOXのヒットだった。開発者はF1の元技術者。課題は、軽の規格の中でどこまで荷台を広げられるか、にあった。F1での技術と工夫が功を奏した。売れ行きは本社の意識を変え、新組織を発足させて鈴鹿に権限を与えた。販売網も動き、女性ユーザーを意識したカフェのような軽中心のスモールストアも展開。F1と軽自動車の相乗効果をねらうとともに、商売を超えた再挑戦に乗り出した「技術のホンダ」の現在を追う。

◇第1章 軽復活 F1のDNA
◇第2章 「すべて鈴鹿で解決しろ」
◇第3章 「ラストチャンス」女性を意識
◇第4章 「売ってもうけるだけでない」


第1章 軽復活 F1のDNA


 ホンダの創業者、本田宗一郎が夢をかけたフォーミュラ1(F1)が開かれる鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)。そこから北に約2キロ離れたホンダ主力工場のひとつ、鈴鹿製作所は大きく変わろうとしている。
 流線形のF1車とは対極にあるような、荷台をたっぷりとって角張った外観の軽自動車NBOX(エヌボックス)が、生産ラインを流れていく。2011年末の発売直後から大ヒットし、販売台数は12年度23万台を超え、ホンダの看板車種に成長した。
 フィットなどもつくる生産ライン2本のうち1本は、すでにNBOXで埋まった。「いずれ鈴鹿を軽で埋め尽くしたい」。NBOXの生みの親、浅木泰昭(55)は、そのカラフルなボディーに目をやった。


 4年前、ホンダの新車開発を担う栃木県芳賀町の本田技術研究所にいた浅木は、設計室の片隅で、上司の竹村宏(54)から突然頼まれた。「競争力のある軽をつくってくれ」
 竹村の手には、軽の首位を走るライバル・ダイハツ工業の「タント」に似たラフスケッチがあった。
 浅木は、すぐに答えた。「あまりやりたくない」
 80年代、浅木は、「音速の貴公子」アイルトン・セナらが活躍した黄金期のホンダF1のエンジンチームにいた。その後、レジェンドやアコードも手がけた浅木は「俺が軽? なんで?」という気持ちだった。
 ホンダは67年、大ヒットとなったN360で軽事業に本格進出したが、シビックやアコードといった普通車が売れると、軽事業は右肩下がりが続く。08年のリーマン・ショック後の業績不振とも重なり、10年以上連続で赤字だった。
 だが、「いいけど、ほかに仕事はないぞ」と竹村はたたみかけた。一晩考えた浅木は次の日、竹村に告げた。「しょうがない。やります」
 浅木が目をつけたのは、軽のユーザーの中心が女性であることだった。
 全国のモニターを通じ主婦層の意見を集めた。日々の暮らしでの何げない悩みに注目した。「部活や塾で子供の帰りが遅くて」「翌朝も通学に使おうと、娘が自転車で夜道を帰ってきてしまう」――。
 浅木は考えた。「自転車を荷台に載せられる軽があれば」。もともとホンダの車は、燃料タンクを中央に置く独自の構造で室内の高さは十分にとれる。
 問題は、室内の奥行きだった。軽の規格のなかで、室内を伸ばそうとするなら、エンジンルームを縮めればいい。だが、衝突時に乗員の命を守るクッションの役目を果たすため難しい・・・

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