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朝日新聞社

南海の「ひょうたん島」 大東諸島のおもしろライフスタイル

初出:2014年1月6日〜10日
WEB新書発売:2014年1月24日
朝日新聞

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 沖縄本島から360キロ以上離れた大東諸島は、琉球語で「うふあがりしま」と呼ばれる。「うふ」は大きい、「あがり」は東を意味する。周囲を断崖絶壁に囲まれ、縁の高いお盆を海に浮かべたような形といい、フィリピン海プレートに載り、赤道直下から4800万年かけて北上、今も年間10センチ弱の速度で沖縄本島方向へ移動している風来坊ぶりといい、懐かしの人形劇「ひょっこりひょうたん島」を彷彿とさせる、ユニークな島だ。開拓までの経緯、ダイナミックな自然、そこに住まう人々の思いなど、その魅力に多方面から迫ってみる。

◇第1章 島は赤道からやってきた
◇第2章 23人が絶壁をよじ登った
◇第3章 アホウドリ追い、東へ南へ
◇第4章 リン鉱の島、今は硝煙の島
◇第5章 海や空の色、本物だった


第1章 島は赤道からやってきた


 一度は訪ねてみたいと思っていた。那覇から空路で東へ360キロ。沖縄県・南大東島の空港に降り立つと、上着を脱ぎたくなる日差しに迎えられた。
 この島は驚きにあふれている。まずはそのたたずまい。砂浜がない。ゴジラの背中のようなトゲトゲした断崖が四方20キロ余りを囲んでいる。縁の高いお盆を海に浮かべたような地形だが、その海は漁船で少し沖に出れば深さが4千メートルに達する。
 南大東と北大東、沖大東の3島からなる大東諸島は、フィリピン海プレートの上にある。赤道直下から4800万年かけて北上してきたとされる。国土地理院のホームページで「全国の地殻変動」を見ると、この1年間でも沖縄本島方向に10センチ弱移動していたことが分かる。
 南大東地方気象台は、台風観測の最前線を担う。かといって台風銀座というわけでもない。2013年、島に接近した台風は3個。10月に24、26、27号と立て続けに来た。中でも27号は動きが遅く、島民は42時間にわたって暴風域に閉じ込められた。


 大城好子さん(64)は島で「お食事処(どころ) 光」を開いている。食堂としての営業のほか、サトウキビ畑のかんがい工事などで島外から来ている30人分の食事を朝昼晩とも任されている。台風が来ても店を休むわけにはいかない。
 10月は食材を那覇から運んでくる船が10日間ほど来られず、生野菜が底をつきかけた。那覇の業者に依頼し、キャベツやレタス、モヤシなどを詰め込んだ段ボール2箱を飛行機に載せてもらった。
 店のメニューには沖縄そばや焼きそばもあるが、夫の盛光さん(58)はめん類を口にしない。子どものころ、台風が来るたびにソーメンばかりを食べさせられた後遺症だという。
 好子さんはもともと大阪で弁当店を営んでいた。建設中だった関西空港の工事現場に100食の弁当を1年間、休みなく届けたこともある。この島の海が好きで、何回か通ううちに建設会社に勤める盛光さんと知り合った。20年ほど前に移住し、周囲の勧めもあって店を開いた。
 「最初は、よそから来た女が何を始めるんだっていう感じはあった。でも、今は島の人たちにも喜んでもらっている。ここは物価がちょっと高いけど、気楽に暮らせる」
 沖縄では古来、この島を「うふあがりしま」と呼んだ。「うふ」は大きい、「あがり」は東を意味する。1885(明治18)年に日本の領土に編入され、大東島が呼称になった。
 その15年後、東京・八丈島から来た開拓者たちが南大東島に上陸した。誕生以来、無人のまま漂泊を続けてきた「うふあがり」の歴史が動き始める・・・

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