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文化・芸能
朝日新聞社

日活100年を支えた名優たち 青春映画編〔3〕松原智恵子、舟木一夫

初出:2013年7月28日〜9月29日
WEB新書発売:2014年1月24日
朝日新聞

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 創立100年を超えた日活は、経済成長期の1950〜60年代にヒット作を連発、石原裕次郎をはじめたくさんのスターを輩出した。ご本人のインタビューを元に、「映画が一番元気だった時代」を浮かび上がらせるシリーズ第三弾。今回は、舟木一夫、松原智恵子の二人をとりあげます。

◇第1章 松原智恵子
 ・3人娘、今も仲良し/吉永ら同僚・先輩に恵まれて
 ・同世代でワイワイ/青春のお通り
 ・伊東とダブル主演/愛するあした
 ・憧れの耐え忍ぶ役/「夕笛」

◇第2章 舟木一夫
 ・歌と映画、私の両輪/デビュー50年、ファンと共に
 ・歌詞通りの撮影所/学園広場
 ・照れたラブシーン/北国の街
 ・映画も歌も金字塔/絶唱


第1章 松原智恵子
3人娘、今も仲良し/吉永ら同僚・先輩に恵まれて

 もともとの夢はキャビン・アテンダント。1960年、日活が映画宣伝のために行った「ミス十六歳コンテスト」に応募、入賞したのが女優になるきっかけとなった。
 「実際は15歳でしたが、2人の姉たちが名古屋のいろいろなミス称号をもっていたので、私も応募してみました」
 副賞は東京見学。日活の調布撮影所でカメラテストを受けて、後日、「俳優になりませんか」とオファーがやってきた。「それまで日活の映画を見たことがなかったのですが、何でもやってみたい好奇心旺盛な年頃だったので挑戦することにしました」
 入社は明けて61年1月9日。通っていた名古屋の高校はとりあえず休学。「3学期までに女優のめどがたたなければ復学する」というのが父親との約束だった。
 デビュー作こそ端役だったが、「すぐに小高雄二さんの相手役に選ばれたので、やっていく自信がつきましたし、父も納得してくれました」。
 日活は楽しい思い出ばかり。怒られたことは一度もない。泣いたのは一度だけ。「台本をロケバスに置き忘れて、『台本をなくしました』と泣きながら事務所に行ったら、『チーコ泣かなくていいんだよ。台本なんていくらでもあるんだから』って」
 同僚・先輩にも恵まれた。吉永小百合さん、和泉雅子さんとともに「日活3人娘」と呼ばれた。「小百合ちゃんも雅子ちゃんもライバルというよりもお友達。今でも仲良しなんですよ。先輩の浅丘(ルリ子)さんは自宅が近かったので遊びに行くと、『チーコ、これ着る?』とすてきな衣装をいただきました」


 日活がポルノ路線に転換した後は主にテレビドラマに活躍の場を移したが、母役、祖母役と年相応の役柄を巧みに演じている。映画「トテチータ・チキチータ」でも、認知症になった老婦人を好演、印象的な演技を見せている。
 今でも女優を続けていられるのは日活時代のおかげだという。「私自身、撮影所育ちなので、撮影の現場が大好きで、楽しんで仕事ができます。どんなに大変な現場でも、どんな役柄でも、撮影をしているときは苦になりません・・・

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