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文化・芸能
朝日新聞社

素顔の幕末明治3大偉人 西郷隆盛・坂本龍馬・福沢諭吉の虚実に迫る

初出:2013年1月21日、3月4日、12月2日
WEB新書発売:2014年2月14日
朝日新聞

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 親分肌で豪放磊落なイメージの西郷隆盛だが、実は腹痛と下痢を繰り返し、征韓論を唱えた頃には判断力が低下していたらしい。何が体調不良をもたらしたのか。明治維新の立役者とされる坂本龍馬だが、龍馬像は脚色され、「日本をせんたく」も薩長同盟も大政奉還も龍馬のオリジナルではなく、船中八策は虚構説も。その根拠とは? 独立自尊をかかげ、人材教育などで近代日本をリードした思想家の福沢諭吉だが、私生活はどうだったのか。最新の知見をふまえ、幕末明治の偉人の実像に迫る。

◇第1章 〈西郷隆盛〉―ストレス病だった?
◇第2章 〈坂本龍馬〉―どこまでが真実?
◇第3章 〈福沢諭吉〉―偉人の実像は?


第1章 〈西郷隆盛〉―ストレス病だった?

 江戸城を無血開城させ、明治維新最大の立役者といわれた西郷隆盛。「清濁あわせのむ」と評されたその実像は、好き嫌いが激しく、ストレスと体調不良に悩む多情多感な人物だった。

豪放な親分の印象/好き嫌い多く繊細
 西郷隆盛は1828年、鹿児島城下の加治屋町で生まれた。藩主・島津斉彬(なりあきら)に見いだされ、長州藩を京から追い落とした禁門の変などで活躍。後にはその長州藩と薩長盟約を結んで政局を動かし、ついで勝海舟と会談して江戸城を無血開城させるなど、維新を実現するうえで最大の立役者だったとされる。
 その性格は「少しく叩(たた)けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く」(坂本龍馬の評)とされるように、スケールが大きく、豪放磊落(ごうほうらいらく)で細かいことにはこだわらない、修養を積んだ人格の持ち主と考えられてきた。
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 だが、本当の西郷は、人の好き嫌いが激しい、緻密(ちみつ)で怜悧(れいり)な人物だったらしい。同時代の記録には「己(おの)レニ異論アル者ニ交ル者少ナク、一タヒ憎悪スル時ハ(略)容慮ナク」とある。
 大阪経済大学教授の家近良樹さん(明治維新史)は「特に若い時には職務に忠実なあまり、血気にはやり同僚を糾弾することもあった。多情多感な人物だったがゆえに、敵を憎むことも激しかったのだろう」と話す・・・

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