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朝日新聞社

芥川、林、三島…壮絶な最期 絶頂期作家が迎えた終焉の日

初出:2009年7月18日、2011年7月9日、2012年6月30日
WEB新書発売:2014年4月18日
朝日新聞

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 或る者は後を追う若者の自殺者を生み、或る者はかっぽう着姿の女性の行列を作り出す。そして、或る者はあまりの壮絶さに世間をあぜんとさせた。人気のある作家であればあるほど、今も愛され続ける作品や生き方とともに、その死に方も人々に多大な影響を及ぼし続ける。それが病死であれ、自死であれ、作家の最期には宿命のように諸説がつきまとう。志半ばであったであろう作家たちが、最期に見たものはなんだったのか。その現場を再訪する。(年齢、肩書は掲載時のものです)

◇〈昭和2年7月〉芥川龍之介の自殺/「ぼんやりした不安」漂う世相
◇〈昭和26年6月28日〉林芙美子47歳で急逝/かっぽう着の女性、焼香に列
◇〈昭和45年11月25日〉三島由紀夫、自衛隊で割腹/問いかけ続く衝撃の結末


〈昭和2年7月〉芥川龍之介の自殺/「ぼんやりした不安」漂う世相

 梅雨の晴れ間の暑い午後、東京都北区にある作家芥川龍之介の旧居跡を訪ねた。JR田端駅から7、8分、住宅街にある敷地に、今はマンションや一戸建ての民家が立っている。案内板がなければ見過ごしてしまいそうだ。



 84年前の1927(昭和2)年7月も暑い夏だった。23日、東京地方は最高気温35度を示したが、翌24日未明になると雨がふりだし、連日の酷暑がやや和らいだ。
 朝、芥川の自宅寝室で、妻文子は、隣で寝ている夫の異変に気付いた。顔面蒼白(そうはく)で苦しそうな様子だった。すぐに近所の医者が呼ばれたが絶望的だった。胸元から遺書とおぼしき封書がこぼれ出た。深夜、芥川は2階の書斎で雨の音を聞きながら数通の遺書を書き、劇薬を飲んだのだった。35歳だった。
 知人友人が田端の家に続々と集まった。開設されて間もないラジオが芥川の死を報じた。当時小学5年生で後に作家になった一色次郎は、鹿児島市内の繁華街で、芥川の死を知らせる号外を拾った。
 午後9時ごろ、自宅近くの貸席で、友人の久米正雄が新聞記者相手に、遺書「或旧友へ送る手記」を発表した。自殺の動機に関する有名なくだりがしたためられていた。
 「何か僕の将来に対する唯(ただ)ぼんやりした不安である」
 芥川家には、3人の幼い男児が残された。俳優・演出家になった長男比呂志は当時7歳。比呂志の3女芥川耿(てる)子さん(66)は「父から龍之介について聞いたことはありませんが、母によると『自分はぜったいに自殺はしない』といっていたそうです・・・

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