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教育・子育て
朝日新聞社

17歳の選択、被災地修学旅行 人生の目標を見つけた2人の女子高生の話

初出:2014年4月16日〜19日
WEB新書発売:2014年5月2日
朝日新聞

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 東日本大震災と福島原発事故が起きた2011年、福岡県立修猷館高校の2年生は千キロ離れた修学旅行先、宮城県の被災地に行くか行かないかを自主選択した。ある女子生徒は被災地旅行を選び、別の女子生徒は地元福岡市でのボランティア活動を選んだ。そこで体験したものは何か。いま大学生となった2人は、それぞれの将来の目標を追いかける……。ふだん考えなかった現実を学び、見えなかった弱者に寄り添い、ともに自分の限界を知った一途な若者の、葛藤しつつもすがすがしい心の成長を丁寧に追う。

◇第1章 被災地旅行、生徒の選択
◇第2章 触って語って、傷痕を体感
◇第3章 声のかけ方すら分からない
◇第4章 考え抜いた選択、認め合う


第1章 被災地旅行、生徒の選択

 2012年1月7日、17歳の高校2年生だった浦越有希さん(19)は、宮城県名取市にいた。10カ月前の東日本大震災で津波にのまれた街を、信じられない思いで見ていた。
 同じ日、同級生の中根弓那さん(19)は、約千キロ離れた福岡市の繁華街・天神で、ホームレスの人に食事を配るボランティアをしていた。路上にいた男性におずおずと「どうぞ」と声をかけていた。
 2人は当時、福岡県立修猷館(しゅうゆうかん)高校(福岡市)に通っていた。同校はその7カ月前、修学旅行(研修旅行)の行き先を被災地に変更し、参加・不参加は生徒の判断に任せる形をとった。
 浦越さんは行った。中根さんは行かない道を選んだ。
 修学旅行は当初、長野県でのスキーの予定だった。しかし、震災から3カ月後の11年6月、当時の中嶋利昭校長(62)は行き先を宮城県に変えた。
 中嶋校長には苦い経験がある。同校の一教員だった1995年1月、阪神大震災が起きた。その直後、長野県でスキーをする修学旅行に行った。「行けてよかった」という雰囲気も漂い、居心地が悪かった。大変な災害が起きたのに、スキーを楽しんでいていいのか、生徒たちに震災について考えてもらうべきだったのではないか――。そんな悔いが残った。
 そして、今回。突然の行き先変更に、生徒や保護者からは批判が出た。「強い余震が起きたらどうするのか」「放射能は大丈夫なのか」「物見遊山にならないか」。任意参加の形にし、被災地を訪れるコースのほか、宮城県でスキーだけをするコースも設けることなどを説明し、議論を収めた。参加・不参加の締め切りは、3カ月後の9月に設定した。
    ◇
 浦越さんは、最初は行かないつもりだった。行き先を震災の被災地に変更したことを知った後、校長室に乗り込んだ。
 「こんな決め方、おかしい。生徒の意見を聞いていないじゃないですか」。生徒の自主性を大切にする学校だと思っていたのにトップダウンで決められ、裏切られた思いだった。ソファに座って詰め寄る浦越さんに、中嶋校長は「頭を下げるしかない。ごめんなさい」と謝った。
 話すうち、浦越さんは中嶋校長の思いを理解していく。それでも、行くかどうかはギリギリまで悩んだ。変更の経緯は納得できなかったが、最終的に考え方を切り替えた。
 「主導権を生徒の手に取り戻そうと思った。先生がどうとかじゃなくて、自分たちのために行きたいなって」。旅行の実行委員長に手を挙げた。
    ◇
 「決め方がおかしい」というのは中根さんも同じだった。「行くのは私たち。意見を聞かずに行き先を変えるのは横暴」
 ただ、それより引っかかったのは、当時の被災地の状況だ。行方不明者の捜索が続き、がれきもたくさん残っていた。そんな中で被害を受けた街を見て、被災者の話を聞いて帰ってくるという旅行をして、現地のためになるのだろうか。逆に負担になるんじゃないか・・・

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