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朝日新聞社

生きて働くことこそ幸せ 東日本大震災と原発事故後、復興にかける人

初出:2014年3月21日〜4月18日
WEB新書発売:2014年5月2日
朝日新聞

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 福島原発の事故後、大熊町の老人介護施設で働いていたスタッフは、避難先の老人が気になった。岩手県釜石市のラーメン店の調理人は、津波で亡くなった店主の店を再建した。岩手県陸前高田市の若い女性は、震災直後に東京からUターンして雑貨小物店を始めた。ローンを終えたばかりの自宅を失った60歳超の女性は仮設住宅で起業し、「年収180万円を目標」に縫い物工房でがんばる。復興支援を続ける「よそ者」企業も意気軒昂だ……。大災害の悲劇を乗り越えようと懸命に生きる人々の現在を紹介する。

◇第1章 希望かなえる介護を
◇第2章 あの味を再び
◇第3章 起業、決意込めて
◇第4章 亡き夫の分まで
◇第5章 「よそ者」道切り開く


第1章 希望かなえる介護を

◎被災した施設のお年寄りと再会、働く決意
 2011年3月11日夜10時。福島県大熊町の老人介護施設「サンライトおおくま」の職員たちは、2キロ先の福島第一原発の爆発を恐れ、110人の利用者をつれて施設を出た。
 内陸部にある小学校の体育館や工場を転々とする。環境が変わり、認知症のお年寄りが泣き叫んだ。利用者が、家族などに引きとられるメドがついたのは、1週間後の3月18日。約30人の職員の疲れはピークに達していた。「施設はいったん解散する。これからは自分と家族のことを考えてほしい」。施設長がそう語りかけると、がらんとした工場に小さな拍手が起こった。
    ◇
 震災から3年がたった14年現在、ちりぢりになった職員たちは、それぞれの道を歩もうとしている。
 介護スタッフの鹿股利章(かのまたとしあき)さん(29)は、サンライトで接してきた利用者たちのもとで働こうと決めた。
 避難所での数日間は、本当に大変だった。ケアのためのあらゆる物が足りない。車いすや介護ベッドがないため、体の不自由なお年寄りを一人ずつ抱きかかえ、食事を口に運んだ。布団も足りず、仮眠時には利用者たちが眠る体の間に、身を縮めた。ケアを続けながら自身も高熱を発し、避難所を出て身を寄せた親戚宅で肺炎と診断された。
 布団の中でも、知らない所に移ったサンライトの人たちの顔を思い出した。「自分の本当のおじいちゃん、おばあちゃんだと思ってきた。忘れられなかった」。肺炎から回復後、7人の利用者を受け入れた同県会津若松市の「会津みどりホーム」を訪れた。
 「あらあ、鹿股さん。来てくれたの」。仲のよかったおばあちゃんが、自分の声を聞いて笑った。「ここでがんばりたいと心が決まった」。施設に頼み、11年4月から働いた。
 最初の数カ月は新しい施設に慣れるのに大変だった。だんだん責任ある仕事も任され、12年、勤務先の近くに一軒家を借りた。看護師の妻と息子(4)との3人暮らし。落ち着いて子育てするため、会津に骨を埋めるつもりだ。
 仲良しのおばあちゃんは今でも、「大熊に帰りたい」とつぶやく。「その希望は今はかなえられない。せめて、ほかの希望を一つでも多くかなえられるような介護をしたい・・・

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