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医療・健康
朝日新聞社

大介護時代の新しい働き方 仕事は辞めず、介護休業など制度を活用する

初出:2014年4月10日〜4月17日
WEB新書発売:2014年5月2日
朝日新聞

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 誰もが順番に老い、病を患う。いま40代〜50代の現役世代が老いた親の介護責任を担う時代が到来した。そのとき、仕事と介護は両立できるのか。会社や職場は介護に理解があるのか。子育てとともに要介護5の母をケアする広告マン、若年性認知症の妻に毎朝化粧してあげる夫、介護に理解のない大手会社を辞めた男性ら、それぞれの介護の厳しい実態を紹介し、独りで悩まず、介護保険、介護休業、時短勤務、費用助成など国や会社の制度を活用しながら仕事と介護を両立させるノウハウを伝える。

◇第1章 会社、保育園、母待つ家へ
◇第2章 午後3時、仕事切り上げ君を待つ
◇第3章 揺らぐ心、それでも母と
◇第4章 管理職、有休使い親元へ500キロ
◇第5章 「前例ない」休業渋られ転職
◇第6章 情報編 「辞めずに休業」制度を知ろう


第1章 会社、保育園、母待つ家へ

 働きながら介護を続ける人は約291万人いる。神奈川県鎌倉市の早田雅美(はやたまさみ)さん(52)も、その一人。4歳の息子の子育ても同時進行だ。

◎広告マン、家族の「当たり前」守るため
 小さく切ったパンにシロップをつける。目を閉じたままの母・美智子さん(82)の口を人さし指と親指で開け、はしで口に運ぶ。夜9時。会社から帰宅したばかりの早田さんはまだワイシャツ姿だ。
 「パパー、これ作った」。ブロックで組み立てた飛行機を持った長男、詩音(しおん)くん(4)がじゃれて、くっついてくる。「お、いいじゃん」。早田さんは、はしを手にしたまま答える。
 食後は美智子さんをお風呂に入れる。ほぼ寝たきりで手足がこわばるので、マッサージをして寝かせる。詩音くんは、アニメ「となりのトトロ」のDVDを見たりしながら、そばにいる。トイレ介助の時、母のズボンを下ろすのを詩音くんが手伝ってくれることもある。
 母と子の世話が同時に重なると、どうしても詩音くんの寝る時間は遅くなりがち。「いいのかな、と思うこともあるが、おばあちゃんと一緒に暮らすのがどういうことか、息子にもわかってもらえたらと思う」
 早田さんは、電通で働く広告プランナーだ。企業の社会貢献事業の立案などを担当している。航空会社に勤める妻の美和子さんは出張がとても多く、平日の介護と子育ては、主に早田さんが担う。
 勤務は不規則だ。東京・汐留の本社を出るのは、定時もあれば、午後8時をまわることも。自宅まで約1時間半。新橋駅まで歩く途中で、その晩の段取りを決める。
 早く退勤できた日は、JR東海道線で自宅に直帰、横浜市の保育園で待つ詩音くんをマイカーで迎えに行く。遅くなった日は、京急線で保育園の最寄り駅へ。タクシーで園に向かい、息子を引き取って一緒に帰る。
 予期せぬ状況に備え、自宅からは少し遠いが、24時間対応の一時預かり保育がある保育園を選んだ。
 妻の不在時は、早田さんが食事の支度をする。ただ「料理は無理」ときっぱりあきらめている。スーパーやコンビニエンスストアで、野菜サラダや揚げ出し豆腐など食べやすい総菜を買う。


 美智子さんは2009年にレビー小体型認知症と診断された。その前から「部屋に見知らぬ男がいる」と突然言ったり、怒りっぽくなったりしていた。いまは要介護5。会話はほとんどできない。
 週3日、デイサービスに通う。それ以外の日は、訪問介護を朝・昼・夜の3回利用する。夕食はヘルパーに食べさせてもらう。ただ夕方に十分食べきれないこともあり、帰宅後に軽食を食べさせることもある。気になることは連絡用の大学ノートに書き、ヘルパーに伝える。「暑そうだったので毛布をかけすぎないようにしてください」など、伝言は細かい。
 何かあっても、母は自ら助けを求めることができない。デイサービスのない日は、約3時間の見守りヘルパーを自己負担で頼んでいる。それでも社を出るのが遅いと、どうしても母1人の時間が長くなる。最近は、部屋にカメラをつける見守りシステムを入れることを考え始めた。
    ◇
 放送作家として多忙だった美智子さん。受話器を耳にはさんで打ち合わせをしながら、手に鍋を持って料理をしている母の姿が記憶に残る。息子の早田さんには、母が体力、気力をぎりぎりまで使い果たしているように見えた。それでも父は、その時代の多くの男性と同じく、家事には手をださなかった。介護も育児も、自分はやれることをやろう。そんな思いが、心のどこかにある。
 妻の美和子さんは、出張がないときは詩音くんの送り迎えや、家事全般を担う。仕事を辞めるべきか、迷ったこともあったという。だが相談した夫の答えは「辞めない方がいい」と明確だった。早田さんは言う。「自分も仕事で悩んだ時は家族が支えだし、その逆もあった。両方あってこそと思うから、妻にも仕事を辞めてほしくない」
 施設入居をすすめられることもある。引っかかっているのは、14年前に亡くなった父についての記憶だ。
 アルツハイマー型認知症を発症した父は、徘徊(はいかい)がひどく精神科病院に入院した。「出してくれ」と訴え、手が腫れるほど病棟の戸をたたいた。見舞いに行く度に涙がこぼれた。父はその後、介護施設、有料老人ホームを転々とした。自宅に戻ることなく、病院で亡くなった。
 「介護は大変。でもこの家で家族と暮らすことが、母には当たり前のことだから」
 職場の会議に出られないなど思うようにいかないこともあるが、置かれた状況でやるべきことをやる、と企画やアイデアの提案に力を入れる。
 介護をしながら働く人、認知症の人への理解を深めてほしい。そんな思いが募り、NPO活動も13年から始めた。介護経験を伝えたり、企業を訪問したり、といった活動をしていきたいと考えている。
 「僕も妻も、あと30年もすれば、息子に介護される側になる。その時に生きやすく、家族も介護しやすい社会になっていてほしい・・・

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