【お知らせ】WEB新書は閉店しました。

社会・メディア
朝日新聞社

ニッサン革命15年 ルノーとの「連合」の生み出したもの

初出:2014年4月16日〜19日
WEB新書発売:2014年5月2日
朝日新聞

このエントリーをはてなブックマークに追加

 1999年の電撃的資本提携から15年、日産自動車とルノーは、開発、研究開発、購買、人事の4部門でさらに進んだ統合を果たした。分野ごとに共通の責任者を1人置き、部長以上を1人に統一した。ただし、下部組織はバラバラのままで、合併でも持株会社でもない「日産・ルノー」連合独自の、ゆるやかな形の「経営統合」といえる。ロシア最大手のアフトバスを傘下に収め、「世界四強」に不可欠とされる生産販売台数1千万が視野に入ってきたアライアンスに死角はないのか? 資本提携、ゴーンCEO誕生、コミットメント経営から現在までの軌跡を振り返り、今後を展望するレポート(ゴーンCEOインタビュー付き)。

◇第1章 剛腕ゴーン、熟慮の進撃
◇第2章 高い経営目標、計画に狂いも
◇第3章 脱・官僚体質、多様性を尊重
◇第4章 「4強」入りへ、再編の総仕上げ


第1章 剛腕ゴーン、熟慮の進撃

◎生産・開発などの中核4分野統合
 2012年9月、パリ郊外のルノー本社。日産自動車とルノーの250人を超す幹部を前に、両社の最高経営責任者(CEO)を兼ねるカルロス・ゴーン(60)が宣言した。「世界では、タイタン(巨人)が台頭している。私たちもタイタンを目指す」
 タイタンとは800万〜1千万台規模を生産販売する巨大自動車メーカーを意味する。ゴーンはこの目標を達成するため、この日、初めて両社の中核分野の統合を検討するよう指示した。
 それから1年半。電撃的な資本提携から15年となった14年4月、統合は実現した。両社は生産、研究開発、購買、人事の4分野に共通の責任者を1人おき、部長以上を1人に統一した。ただし、下部組織はばらばらのままだ。合併や持ち株会社ではない日産・ルノー連合独自のゆるやかな「経営統合」といえる。
 生産分野の責任者にえらばれた木村昌平(57)は、ゴーンが倒産寸前の日産に乗り込んできた時、栃木工場の第二技術課長だった。
 ゴーンは、課長級を中心に約500人の社員と面接し、現場の声を聞いた。木村もランチを食べながら15人ほどの課長と囲んだ。「部品メーカーに技術を出す形にしなければ現場は回らない」。そう訴えると、ゴーンは即答した。「そんなの全部出せばいいだろう。お前たちは次のステップに進め」。「すごいおっさんだ」。当時、42歳だった木村の目にゴーンは救世主に映った。
 若手・中堅幹部の意見をすいあげたゴーンは、ただちに再建計画「日産リバイバルプラン」をまとめた。村山工場の閉鎖や子会社の統廃合、早期退職による人員削減、下請けの「ケイレツ」の見直し……。徹底したリストラを断行し、プランは1年前倒しで達成できた。
 剛腕のイメージが強いゴーンだが、日産とルノーの関係強化については慎重だった。
 01年、ルノーと共同で部品を買い付ける子会社を設立したが、当初の共同購入は全体の3割程度。コストを削減するなら、もっと比率を高める選択肢もあったが、社内の反発に配慮した。結局、すべての部品が共同購入の対象になるまで8年を費やした。
 車の中核部品である車台の共通化や、地域会社の間接部門の統合も試みたものの、無理には進めなかった。
 なかなか効果が出ない提携は、市場から「家庭内別居」とも揶揄(やゆ)された。しかし、ゴーンは機が熟すのを待った。
 「提携全体にプラスでも、ルノーのために日産社員がルーズ(負け)の仕事をやらされるのは、許されない。企業の競争力の根源は、従業員の動機の大きさで決まる」。長らく片腕として支えた副会長の志賀俊之(60)は、ゴーンのこんな口癖を覚えている。
 一方、海外では着々と布石を打った。08年のリーマン・ショック後、オランダに提携策を立案する共同会社を設立。10年には初の共同工場をインドにつくった。そして14年。ゴーンは「従業員の心構えなど実行体制が整った」とみて、中核分野の統合に踏み切った。
 今後は、エンジン開発だけでなく、自動運転など先進技術も両社で協力する。生産の工程も統一し、世界にある130を超す工場で、両社の車を生産できる体制をつくりあげる。ルノー副社長のフィリップ・クランは「この提携はルノーにとっても大いなる挑戦となる」と語る。
 この15年間で日産の世界販売台数は倍増し、企業規模は日産が7に対し、ルノーが3となった。
 両社をつなぎとめるゴーンがトップでなくなれば、「日産の独立機運が高まる・・・

このページのトップに戻る