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医療・健康
朝日新聞社

わたしはここで最期を迎える あなたに見守られて逝きたい

初出:2014年2月1日〜3月15日
WEB新書発売:2014年5月23日
朝日新聞

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 多くの人が自宅で最期を迎えたいのに、同時に「実現は困難」とも考えている。そして、実際に8割の人が病院や診療所で亡くなっている。場所とともに大事なのは、誰と最期の時を過ごすのかということ。「お別れの会」を楽しみ、付きっきりで面倒を見てもらい、家族に体をさすられて、好物を食べさせてもらって……そんなふうに最期を迎えられる環境が、少しずつだが広がっている。そこには、「より良く死にたい」という思いがあふれている。

◇第1章 家族的な施設で別れ/山口の87歳男性
◇第2章 「生老病死」この家で/鳥取の84歳男性
◇第3章 町の人々、旅立ち支え/広島県の54歳女性
◇第4章 「余命3日」、転院で光/広島県の51歳女性
◇第5章 自分らしさ大切に/島根県の98歳女性
◇第6章 ホスピス、自宅のよう/広島市の82歳女性
◇第7章 施設や制度上手に利用、いい距離を/岡野雄一さんに聞く


第1章 家族的な施設で別れ/山口の87歳男性

 誰にもいつか来る最期のとき、誰とどこで迎えたいですか。家や病院、施設など場所を軸に、それぞれの終末期医療の選択を紹介します。まずは、生まれ育った島の施設での最期を選んだ山口県の男性の話から。

 マグロ、ハマチ、サーモン。ベッドの上に渡したテーブルの上に回転ずしで買ったすしが並ぶ。
 ベッドの上にはお気に入りの青いアロハシャツを着た星出勝美さん(87)。手にした箸ですしを少しずつ口に運んでいく。
 2013年10月12日、山口県周防大島町の複合福祉施設「おげんきハグニティ」内の小規模多機能型居宅介護施設「島の蛍」の一室。ハグニティの理事長、岡原仁志医師(53)や介護スタッフたちに囲まれた星出さんがうれしそうに言った。
 「みんながおるからうまいんじゃ」。すし7貫を食べ、アイスクリームを何度もおかわりした。呼吸不全の末期状態で、前日までは何も食べられず、消え入るような声しか出なかった。
 得意の田端義夫の「十九の春」を熱唱してスタッフたちを驚かせた。女性看護師の胸を見て「ボリュームが大きいね」と言うと、みんなが大笑い。すかさず部屋を出た岡原さんが胸に空気で膨らませた袋を詰めて戻って来ると、再び部屋は笑いに包まれた。
 最期のときが近づいた星出さんとのお別れの会。そんなことを忘れるくらい、にぎやかな時間が流れた。
 星出さんはこの島で生まれた。船乗りで、50代までは妻を残して遠い外国の海へ出てばかり。3年前、その妻が突然逝った。自身は肺胞の外壁が硬くなる「間質性肺炎」で入退院を繰り返すようになった。子供はなく、独り暮らしでは食事の用意もままならない。
 13年3月、いずれ家に戻るつもりで島の蛍にやって来たのに、症状は少しずつ進んだ。2回入院し、9月には肺の機能を助けるため、酸素療法を始めた。
 施設管理者の木村秋子さん(49)は「本格的な治療はできなくても、心の痛みや怖さを取る手助けはできる」と思った。
 「胸が苦しい」「(妻が死んで)さびしい」「生きねば」「食べて体力をつけんといけん」。星出さんの不安や希望に矢印をつけて心の動きを把握する「アローチャート」をつくり、他のスタッフと共有した。
 衰えを感じていた星出さんが「世話になってすまない」と思わないようにも気を使った。「食べ物をごちそうしてくれる」「歌の師匠」といった役割を感じてもらえるよう振る舞った。
 「すしの会」の4日前、岡原さんは、星出さんに切り出した。
 「先のことですが、最期を迎えるとしたらどこがいい? しんどくなったら病院もあるよ」「できるだけここがええ」
 岡原さんは「かなり腹をくくっている」と感じた。
 しばらく体調は良かったが、11月7日に容体が悪化。息が荒く少し苦しそうな様子でスタッフとこんな言葉を交わした。
 「あの世に行ったら奥さんに会えますね〜」「そうじゃな、いろいろ会えるなあ」「怖いことないですか?」「ないな!」
 いつもの軽快な口調でほほ笑んで見せた。
 翌日から、兄弟らが集まった。手足をさすり、本人が好きなすしやコーヒーを一緒に楽しんだ。
 11月11日午後、星出さんは眠るように旅立った。施設にとって12年秋の開所以来、初めての看取(みと)りだった。
 部屋の壁に貼られた「十九の春」の歌詞や写真、好物の「柿の種」。寂しくて、木村さんは数週間、片づけずにそのままにしていた・・・

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