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政治・国際
朝日新聞社

踊る日ロの未熟なステップ 元総領事が語る平和条約への道

初出:2014年4月21日〜4月25日
WEB新書発売:2014年5月16日
朝日新聞

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 日ロ関係が穏やかではない。北方領土問題は未だ解決の糸口が見えず、平和条約の締結交渉も一向に進まない。クリミア半島併合問題では、日本はロシアを非難せざるを得なかった。何がこの両国関係の進展を阻害しているのか。「『ロシアは遠い存在』というイメージがなくならない限り、本当の関係はできません」。札幌で2度、計10年余り総領事を務め、日ロ外交にも長く携わったワシーリー・サープリン氏が語る日ソと日ロの35年と、両国の未来への提言。

◇第1章 [第2のふるさと]―他国の大使、断り札幌へ
◇第2章 [日本との出会い]―全然違う文字に関心
◇第3章 [ゴルバチョフ改革]―西側に幻想持ちすぎた
◇第4章 [エリツィンの下で]―「皇帝」に振り回される
◇第5章 [未来に向けた関係]―価値を認め合う所から


第1章 [第2のふるさと]―他国の大使、断り札幌へ

 札幌には総領事として2度、赴任しました。最初は1999年。その前に東京で駐日公使だったので、外務省の幹部からは東南アジアなど「どこかの大使に」と打診されていました。でも、日本から離れたら日本語も忘れてしまう。大使であってもその国の専門家ではなく、部下から教えてもらうことになる。
 私は札幌を希望しました。2度目の2008年も自分の年齢を考えれば最後の海外赴任と思い、やはり大使を断りました。幹部はびっくりしていましたが。
    ◇
 なぜ、北海道か。総領事館としてはロシアに一番近いので交流が盛んです。もう一つは、気候がモスクワと似ていて、四季もはっきりしている。初めて来たのは4月末で、大通公園には花が咲き、遠くの山はまだ雪に覆われていた。感動的な風景に、期待した通りだと感じました。
 大学時代にはスキーのチームに入って競技会にも参加していました。だから札幌では冬を人の倍、楽しみました。自分で運転して、以前はひとシーズンに約30回、最近でも20回はスキー場に通っていました。ニセコをはじめ、札幌国際、手稲。旭川市のカムイスキーリンクスでは、西川将人市長と何度か一緒に滑りました。
 (札幌コンサートホール)Kitaraは最も好きな場所の一つ。札幌交響楽団の定期演奏会には毎回行きました。世界的なレベルに上がろうとしていると思います。ロシアの著名な指揮者ワレリー・ゲルギエフさんはKitaraの音響が大好きで「世界のベスト3」と言っています。彼のもう一つのお気に入りは支笏湖の丸駒温泉です。受け入れ団体には「必ず温泉の日程も入れて」と注文されています(笑い)。


 道との経済交流はここ2、3年で著しく発展しています。総領事館は連絡窓口として、企業などから交流の希望があれば相手側の反応を調べて伝えるとか、適当な企業をあっせんするなど、様々な形で関わっています。サハリンは石油ガス開発が進んで資金にも余裕がありますし、アムール州での農業協力は新しい分野です。
 私は来道する前、(北方四島周辺海域の)安全操業協定の交渉でロシア側団長でした。以前は銃撃や拿捕(だほ)があって危ない海でしたが、最近は事故、事件のない海になりました。
 経済協力はロシアからの要望に応えるというだけでなく、相互利益のため、平等なパートナーとして進めるべきです。ロシアでは極東発展計画が実行中で、それに伴って新しい経済交流の形も生まれ、日本の実業界が利益を得る可能性がたくさんある。サハリンのコルサコフは、フェリーの往復切符があれば72時間、ビザなし滞在できます。稚内にも同じ仕組みを作れば、観光客も2倍、3倍と増えるでしょう。
 10年以上も生活した北海道、札幌は第2のふるさとです。大阪で生まれた息子は日本語を学んで北海道大にも留学し、外交官になって13年まで東京の大使館で勤務していました。
 思えば、社会人になってから、人生の半分は日本で過ごしてきました。日本とのつながりは、高校時代にさかのぼります・・・

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