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朝日新聞社

プロメテウスの罠〔46〕 震災と皇室「放射能学び、飯舘村に行きたい」

初出:2014年4月17日〜5月6日
WEB新書発売:2014年5月30日
朝日新聞

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 「できるだけ早く被災者を見舞いたい」「原発敷地に入った消防隊員の健康は大丈夫ですか」――東日本大震災と原発事故では皇室も心痛を極めた。天皇と皇后は震災直後から原発事故避難民らの御用邸利用や食材提供を申し出た。東北各地の被災地では長時間、家や家族を失った避難民らの話を聞き、労りと励ましの言葉をかけた。救援活動に汗を流す自衛隊員や自治体職員らには「ありがとう」と感謝した。被災者に真摯に向き合い、勉強を重ね、子どもの放射線被害を気遣う両陛下の等身大の姿を、立ち会った人々の多くの証言とともに追う。

◇第1章 「御用邸を避難所に」
◇第2章 秋篠宮家が絵を提供
◇第3章 「お気持ち」は続く
◇第4章 石原知事自ら出迎え
◇第5章 東北へ「私が行く」
◇第6章 廃校舎、急いで下見
◇第7章 ひざ立ちで語りかけ
◇第8章 地震や原発を勉強
◇第9章 隊員の健康気遣う
◇第10章 箸は持ち帰った
◇第11章 思わぬアンコール
◇第12章 真っ先に自衛隊の名
◇第13章 気休めではなく
◇第14章 窓は開けたままに
◇第15章 「原発を見たい」
◇第16章 放射能、次々と質問
◇第17章 福島の野菜持ち帰り
◇第18章 傘を閉じて黙礼
◇第19章 「飯舘村に行きたい」
◇第20章 にじみ出たお気持ち


第1章 「御用邸を避難所に」

 宮内庁の管理課長だった和地国夫(わちくにお)(61)は震災のあと、長官(当時)の羽毛田信吾(はけたしんご)(72)から呼ばれた。
 「部長といっしょに来てくれ」
 震災後最初の金曜日、と覚えている。記憶通りなら2011年3月18日のことだ。
 管理部長の鈴木武(すずきたけし)(62)とともに長官室に入ると、羽毛田が切り出した。
 「天皇皇后両陛下のお気持ちとして、那須御用邸(なすごようてい)を避難所にできないかということだ。どうだろうか」
 那須御用邸は栃木県那須町にある皇室の別荘だ。現在は那須岳を仰ぐ斜面に広がる約660万平方メートルの広大な山林に、両陛下用の本邸と皇太子家用の付属邸、随従の宮内庁職員らが泊まる供奉員(ぐぶいん)宿舎など計7千平方メートルの建物が散在する。
 羽毛田「供奉員宿舎は使えないだろうか」
 和地「避難所にするのはちょっと難しいでしょう」
 御用邸は避暑地としてつくってある。暖房設備がないので、雪が残る今の時期では寒すぎる。
 和地は、不適である理由をさらにいくつかあげた。
 山林の中で交通が不便なこと。
 大人数を泊める寝具がないこと。
 御用邸詰めの常勤職員は6人しかおらず、多数の避難者を世話できないこと――。
 羽毛田は「そうだね」といったが、すぐには納得しなかった。
 「でも、何とか使えないか考えてみてくれないか」
 宮内庁で両陛下の意向を直接聞く立場にいるのは2人だけだ。
 1人は宮内庁長官。「オモテ」と呼ばれる事務方のトップだ。
 もう1人は侍従長(じじゅうちょう)。「オク」と呼ばれる、両陛下の身の回りの世話をする侍従職のトップである。
 羽毛田が和地に伝えた「お気持ち」が、両陛下から直接いわれたものであることは明らかだ。それに羽毛田の粘り方からみて、陛下はかなり強くおっしゃったようだ、と和地は思った。
 被災地から栃木県内の避難所に避難した被災者は震災1週間後の3月18日午後4時の時点で2442人。うち2277人が福島県からの避難者だった。東京電力福島第一原発が相次いで爆発を起こしており、さらに増えそうだ。御用邸のある那須町だけで、避難者は461人いた。
 課長室に戻った和地は「そうだ、御用邸には温泉が引かれている」と思い出した。供奉員用の風呂も3カ所ある。これなら使える。長官室に引き返した。
 「避難者を招いて、温泉を使ってもらったらどうでしょうか」
 羽毛田がにっこりした。
 「わかった。県に連絡しよう」
 週明けの21日、実施が固まった。
 そのころ東京の皇居では、両陛下から被災者の入浴用タオルの費用提供の申し出があった・・・

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