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文化・芸能
朝日新聞社

あの映画、どこで見ました? 隆盛シネコンを超える「映画館」

初出:2014年4月21日〜25日
WEB新書発売:2014年5月23日
朝日新聞

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 どこでも同じような佇まいで、中に入ればどこにいるのか分からなくなるようなシネコンが、映画館の主流となって久しい。でも、全国には他にないオリジナルの映画館での上映を続ける人たちがいる。その理由は、館主のこだわりだったり、資金面の問題だったり、地域の事情だったり……。でも、共通しているのは、観る人を「非日常」の世界へ誘おうとする情熱。見知らぬ人たちともワクワクをともにできる、その異空間の魅力をたどる。

◇第1章 俺たちに明日はある
◇第2章 真夜中でなくても別の顔
◇第3章 北に西に進路を取れ
◇第4章 ミラノの休日
◇第5章 私を映画に連れてって


第1章 俺たちに明日はある

 映画は何を見たかと同時に、どこで見たかも重要だ。シネコン隆盛で同じような映画館が並ぶ今では、思いも寄らないかもしれないが……。
 小学6年のとき、親に内緒で1人で見に行った東京・日比谷映画劇場。高校1年、最初のデートのテアトル東京。私にとって映画館の思い出は、いとおしく切ない。
 昔の映画館では、2本立て、3本立てがふつうだった。それにならい、映画館の今昔を毎回、基本的に二つの話でたどる。まず、南へ。
 沖縄・宮古島に、日本最南端の映画館「シネマパニック宮古島」がある。春休み最後の日曜日、にぎわうはずの映画館は閉まっていた。「上映できる作品がないのです」。館主の下地昌伸さん(48)は申し訳なさそうだった。
 ここはフィルム映写機しか持っていない。デジタルが主流のいま、新作をかけることができない。経営は苦しく、デジタル機器の購入費を捻出する余裕はない。シネコンの増加などで街の映画館は減り続け、それにデジタル化の波が追い打ちをかけているのが現状なのだ。
 窮余の一策として思いついたのが、市民の寄付。機器の購入や工事費など1千万円を目標に、島内100カ所以上に募金箱を置く。「1人ではもう、どうすることもできなかった」と下地さんはいう。
 いままでに集まったのは約330万円。当初の期限だった2014年3月31日までに目標額は達成できず、現在も継続中だ。
 希望はある。街では「がんばれ」と声がかかり、下地敏彦・宮古島市長や豊見山健児・宮古島観光協会長も支援を表明した。4月9日には支援フォークライブが開かれた。
 そもそも島の映画館消失の危機は初めてではない。シネマパニックだって、なくなった映画館を復活させるため、下地さんらが2005年に立ち上げたのだ。今回の募金を通じて「島の人たちの映画館に寄せる熱い思いを改めて感じた」という。映画館は地域にとって、島にとって、重要な文化施設だ。集まった募金をもとに「なんとしても5月には再開させたい」。
 同じような志を持つ人が、北にもいる。馬の産地として知られる北海道浦河町。ここには国内屈指の歴史をもつ映画館がある。1918(大正7)年、米騒動の年に開館した大黒座だ。
 現在は4代目の三上雅弘さん(62)が妻や母と一緒に営んでいる。経営は苦しく、取材した日の観客は数人。副業にクリーニング店を営んで赤字を穴埋めしてきた。
 三上さんは東京の大学を卒業して浦河に戻った。「事務所の机に向かっているおやじの老けた姿を見たら、継ぐ気になったのです」。暖房のボイラーたきから始めた。
 デジタル設備は借金をして何とか整えた。「デジタルで消耗しましたが、閉めるという選択肢はなかったですね」
 北の三上さんと、南の下地さん。なぜ、そこまで・・・

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