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朝日新聞社

語る、津波を語る、何度でも 「伝えるため、生かされた」

初出:2014年6月9日〜6月13日
WEB新書発売:2014年6月27日
朝日新聞

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 この100年余で3度も壊滅的な津波被害を受けた岩手県宮古市の田老地区。東日本大震災から3年以上がたった今もまだ、倒れた堤防が放置され、流された街は草だらけのまま。だが、そこには、津波の恐ろしさを様々な形で語り続ける人たちがいる。「伝えるため、生かされた」。一種の使命感を背負い、決して派手な形ではないけれど、頑固に語り続けるのはなぜか。忘れたくても忘れられない、心が押し潰されるような経験を吐露し、語り部たちは歩み続けている。

◇第1章 ここでしか見せません
◇第2章 海のバカヤロー
◇第3章 とっさの時、思い出して
◇第4章 そんな簡単じゃないんだ
◇第5章 その半分で、トンネルを出たい


第1章 ここでしか見せません

 ここでしか見られません。いや見せません。
 東日本大震災後、私が2年間駐在した被災地の岩手県宮古市で出会った人たちのうち、たろう観光ホテル社長、松本勇毅さん(57)は、かなりの変人だった。
 自分で撮影した津波ビデオをかたくなにそのホテルでしか見せない。津波の直撃を受けたホテルは、営業できっこない。それでも撮影した6階の部屋でしか見せない。
 「それはないでしょう」。初めて公開した2011年10月、私たち現地記者は抗議した。「教訓を伝えるためなら、広く提供すべきです」
 ホテルがある田老地区は、明治津波(1896年)、昭和津波(1933年)、今回と、100年余で3度も壊滅的な津波被害を受けた。そこがどう復興するか。私は名古屋に転勤した後もずっと気になっている。
 先週、また現地を訪ねた。この11日で震災から3年3カ月になるのに、約800戸が流された津波跡は草ぼうぼう。街の跡にぽつんと突っ立つのが、そのホテルだ。
 倒れた防潮堤まで約100メートル。津波の直撃で6階建ての3階まで壁がぶち抜かれ、赤さびた鉄骨や内装がむき出しだが、不思議なことに上階はそのまま残っている。
 あの日、ひとり残った松本さんは最上階の部屋で、ビデオカメラを構えた。記録を撮っておこう。その気まぐれが、街の破壊直前から直後まで、しかも高所からの決定的な映像を残すことになった。
 冒頭、防潮堤の内側で消防車がゆっくり走り、おばあさんが歩いている。しかし外側では真っ黒な海がぐんぐん盛り上がり、灯台を倒し、防潮堤を乗り越え、街をのみ込む。4分後、ドドッ――。引き波がすべてを海へさらっていく。目の前で200人近くが犠牲になった。
 粘る記者に対し、松本さんは、「だめなんです」と言うばかり。恥ずかしがりで白いマスクまでしていた。
 地元NPO、観光協会による被災地見学が本格化し、ビデオ上映も定番になる。それに同行するうち、私は限定公開の意義を考えるようになった。
 見学者は街の跡を歩いた後、あえぎあえぎ非常階段で6階まで上る。そこで松本さんが、「ここから撮りました」。窓の外をのぞかせてから再生ボタンを押すのだ。
 津波の瞬間、「あっ」と声を上げたのは修学旅行の中学生、地震学者、視察の議員、台湾の観光客、ボランティア……。破壊された街のど真ん中で感じる衝撃は、自宅テレビやネットでみる映像とはまるで違っていた・・・

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