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朝日新聞社

父を捜して オランダ日系2世の戦後69年

初出:2014年6月1日〜3日
WEB新書発売:2014年6月13日
朝日新聞

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 第二次大戦前、インドネシアを植民地にしていたオランダの女性と、大戦中に当地を支配した日本軍の関係者や民間人との間に生まれたオランダ日系二世。戦後、日本人父の大半は単身帰国、やがて起きた独立戦争で、多くの母子がオランダに引き揚げた。その数は800人とも3千人とも言われるが、反日感情が強いオランダで、厳しい生活を強いられた子どもも少なくない。戦後70年近くが過ぎ、関係者の多くが他界するなか、2012年、オランダ在住の研究者らが「アジア太平洋戦争日本関連史資料および学術連絡支援財団(SOO)」を設立、父親探しを進めているが、残された時間は少ない。戦争に翻弄された2世たちはどんな人生を送り、どんな思いを抱えているのか。現地取材を元に報告する。


◇第1章 「恥」乗り越え、会いたい 差別・いじめ それでも募る出自への思い
◇第2章 恋しい、母は思い続ける
◇第3章 日本の血、生きる誇り


第1章 「恥」乗り越え、会いたい 差別・いじめ それでも募る出自への思い

◎「戦争で引き裂かれた犠牲者」 メモ頼りに父と対面
 2014年5月29日、札幌市。待ち合わせ場所に現れた男性(61)は、鼻、口、顔の輪郭、体格、どこをとっても、ヒロシ・デ・ウィンターさん(68)にそっくりだった。同じ父親を持ち、男性は「弟」にあたる。
 「落ち着いて聞いて。実は、君に兄がいる」。親族から突然、知らされたのは2011年。「オランダ人なんだ」。頭が真っ白になったと男性は振り返る。
 記者はオランダで、ヒロシさんにも会った。1946年4月、インドネシアのジャワ島生まれ。母はオランダ人。父は日本人で、綿花づくりに携わっていた。オランダ政府によると、戦争中、日本軍はインドネシアで捕虜4万人と民間人9万人のオランダ系住民を強制収容所に抑留。栄養失調などで2万人以上が死んだ。ヒロシさんは「日本人の子」といじめられた。
 女手ひとつで育ててくれた母は、父を思いながら、93年に死亡。母が保管していた父の手書きのメモに、実家の住所が記されていた。それを手がかりに、「弟」へたどりついた。
 11年秋に来日。弟に案内され、認知症を患う父に、施設で初めて会った。抱きしめて、母が大切にしていた若いころの父の写真を見せた。驚いたような顔をして、泣き出した。
 しかし、ヒロシさんのように、父や家族が会ってくれる例はごくまれだ。男性は言う。「『恥』という感覚なのでしょうか。でも、戦争で無理やり引き裂かれた彼らは、犠牲者だよね・・・

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