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スポーツ
朝日新聞社

だから甲子園を目指していた 目的じゃなく目標だった先に

初出:2014年6月17日〜21日
WEB新書発売:2014年7月11日
朝日新聞

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 全国の高校球児たちが死にもの狂いで目指し、そのグラウンドの土を踏み、投げて打って活躍することを夢見る舞台「甲子園」。誰もが高校時代の一時期を、そこへたどり着く険しい道を歩むために捧げ、苦しみ、涙し、笑い、そして燃焼する。栃木にゆかりのあるプロ野球の現役選手も、かつての新人王や打点王も、世界的なギタリストも、国会議員も、さかのぼれば確かにその舞台を目指していた元球児だった。そんな人々が、いまその思いを語り出す。

◇第1章 プロ野球・千葉ロッテ 岡田幸文選手
◇第2章 ブルースギタリスト・菊田俊介さん
◇第3章 プロ野球・東北楽天 高村祐コーチ
◇第4章 内閣府政務官・亀岡偉民さん
◇第5章 野球評論家・広沢克実さん


第1章 プロ野球・千葉ロッテ 岡田幸文選手(29歳)

◎感謝忘れず日々大切に
 前年、決勝で敗れた雪辱を期して臨んだ2002年の全国高校野球選手権栃木大会。優勝候補の作新学院は4回戦で敗れ、24年ぶりの夏の甲子園出場は果たせなかった。1番中堅手で主将だった。
 「当然、悔しさはあったけど、これが俺らの実力なんだなと。甲子園は目標であって目的ではないと思っていた。仲間と助け合いながら一つになって目標に向かうのが高校野球。高校3年間、仲間と毎日、同じ目標に向かって練習してきたことが何よりの財産です」
 後輩たちは09年、31年ぶりに栃木大会を制した。11年からは県勢初の3年連続夏の甲子園出場。小針崇宏現監督は一つ上の先輩だ。
 「成績も残している。誇らしく思い、『俺も』と気が引き締まる」
 今でも胸に残っているのは大塚孝元監督(現作新学院野球部顧問)の「目配り、気配り、思いやり。この三つをもってやりなさい」という言葉。プレーでも生活でも常に仲間を思いやる気持ち。ミスがあってもカバーしあう。プロになっても心がけている。
 プロという目標に向かって日大に進学したが、間もなく左ひじを故障して手術。数カ月後、大学を中退した。地元に戻り、働きながら足利市のクラブチーム「全(オール)足利クラブ」でプレーしたが、そこでもけがとの戦いが続いた。「これで終わりか」とあきらめかけたこともあったが、そこから踏ん張った。
 「絶対にプロの世界でやると決めていた。心底野球が好きなんです」
 08年秋のドラフト会議で育成選手として千葉ロッテに指名された。前年にも育成の話はあったが、断っていた。1年待ったが再び育成。24歳という年齢もあり、プロ入りを決断した。反対する家族に言った。
 「2年だけやらせてくれ」
 背番号は「132」。クラブハウスにロッカーはなく、いすと着替えを入れる段ボール箱だけ。
 「このままでは絶対にいやだ。やるしかない」
 とにかく目立つことだけを考えた。春のキャンプでは、ウオーミングアップから先頭を走り、自慢の俊足をアピール。首脳陣の目に留まり、開幕前にいまの「66」を獲得した。
 「高校のときのようにがむしゃらだった。はい上がることだけ考えていた」
 約束の2年目、1軍に昇格。その年のチーム日本一にも貢献した。
 「グラウンドでは常に『俺が一番だ』と思ってプレーしているけど、『プロに入って良かった』と満足するのは引退後でいい。1年でも長く続けたい」
 高校生へのアドバイスは自身のブログのタイトルに通じる・・・

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