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教育・子育て
朝日新聞社

原発事故、「寄り添う」って? 福島大学生・院生・職員の3年

初出:2014年6月29日〜7月4日
WEB新書発売:2014年7月31日
朝日新聞

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大震災と原発事故に同時に襲われるという、世界でも類例のない事態に陥った福島。復興に向けた動きは続いているが、残念ながらそれは遅々としたものでしかない。また、原発事故については収束する見通しすら立っていない状況だ。にもかかわらず、日本でも世界でも風化や無関心が広がり始めている。地元で支援や研究、教育に取り組んでいる福島大で学び、働く人たちは、どのように震災と事故後の3年を過ごしてきたのか。何を見て、聞いて、感じて、行動して、そして何を目指すのか。

◇第1章 時間を共有しつながる/ボランティア続ける 川村遼さん・尾形桃子さん
◇第2章 震災と向き合いたい/「ふくしま未来学」受講 蔦優紀さん
◇第3章 コメ作り経験し発信/風評対策に取り組むゼミ生 渡辺塁さん
◇第4章 米国で伝えた福島の「今」/中国出身 事故後に入学した 鄭茗心さん
◇第5章 海外に応援団増やしたい/国際交流センター副センター長 ウィリアム・マクマイケルさん


第1章 時間を共有しつながる

ボランティア続ける 川村遼さん

尾形桃子さん


◎住民に心開「一人じゃないよ」
 震災後にできた学生団体「福島大学災害ボランティアセンター」で、仮設住宅での足湯や被災物の運び出しなどをしてきた大学院修士課程2年の川村遼さん(24)と、4年生の尾形桃子さん(21)。支援する側とされる側を線引きせず、被災者と向き合ってきた。

 ――2011年3月11日はどこにいましたか?

 川村 ソフトボール部の合宿で大熊町にいました。合宿所が避難所になり、中に入りきれないぐらいの人が避難してきた。役場の人に手伝いを申し出て、仲間と交代で食料や飲み物の配布を夜通ししていました。翌朝に退避勧告が出て、福島市に戻りました。


 尾形 私は入学前で、実家のある宮城県にいました。海辺にあった父のサーフショップは津波で流出しました。

 ――ボランティアを始めたきっかけは?

 川村 福島市に戻ってしばらくアパートにいました。ゼミの鈴木典夫先生から安否確認の電話があって、福島大に避難所ができたことを知った。授業もなく、することもないので、手伝いに行ってみようと。
 尾形 12年3月、友人に誘われて東京駅で復興支援のイベントを手伝ったのが最初です。声をかけてくれる人がいる一方、黙祷で人が立ち止まらないことがショックで。自分の言葉で伝えたいと思いました。当初は「ボランティア」が嫌だったんです。宮城では、話しかけられることもなく遠い存在だったから。でも、福島大の仲間は住民と近くて被災者という目線で見ていなかった。



 ――大学の避難所はどのような状況でしたか?

 川村 学生は、家族ごとの間仕切りを作ったり、ご飯の調理を手伝ったり、支援物資を運んだりしていました。小さい子の遊び相手や、小中学生の勉強をみることもあった。最初は緊張した様子だった子どもたちが、笑顔を見せてくれるようになりました。
 尾形 私は写真でしか見ていません。実は写真もあまり見たくない。私も数日だけ宮城で避難所に避難していました。安否確認に行った小学校とか、景色が頭に残っていて。海には今でも近寄れません。

 ――なぜボランティアを続けているのですか?・・・

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