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朝日新聞社

俣一の秘密戦士たち〔2〕 陸軍中野学校二俣分校、生・誠・自由の精神

初出:2014年5月31日〜6月26日
WEB新書発売:2014年8月7日
朝日新聞

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 秘密の講義で多種多様な戦略的な技術を身につけても、悪用することは許されず、「誠」の団結精神が尊ばれた。そして「生き恥をさらしてかまわない。捕虜になっても生き残って使命を果たせ」――。二俣分校では教官も生徒も、玉砕を肯定する日本軍の「戦陣訓」を否定し、天皇制や戦況について自由に議論できたという。小野田元少尉も学び実践した忍者の教え、楠木正成の精神、「中野美学」とは何か。士官学校の軍人教育とは違う二俣分校の人間教育の背景を、生徒らと交流した住民らの証言も交えつつ探る。

◇第1章 「捕虜となっても恥と思うな」
◇第2章 徹底した議論、天皇制まで
◇第3章 軍人らしからぬ「兄貴」たち
◇第4章 勉強も、遊びも、何でも自由
◇第5章 校名も学ぶ内容も知らず
◇第6章 「教育隊の兵隊さん」親しみ
◇第7章 分校生・看板娘、戦時の青春
◇第8章 軍装麗々、少将閣下ご宿泊
◇第9章 兵隊兄チャン、少女の純真
◇第10章 決死覚悟、駅で別れ70年
◇第11章 葡萄で近づき風の如く去る
◇第12章 「祖国の捨て石」覚悟を歌う


第1章 「捕虜となっても恥と思うな」

◎最後まで生き残れ
 日中戦争が続いていた1941(昭和16)年1月、陸軍大臣の東条英機が将兵に守るべき訓諭「戦陣訓」を通達した。「名を惜しむ」の項に、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」とある。
 「玉砕(ぎょくさい)」「特攻」の言葉が示すように、軍人一人ひとりの命は国よりも軽いと考えられがちだった。
◎「戦陣訓」否定
 だが、中野学校では違った。
 「捕虜となっても恥と思うな。最後まで生き残れ」と教えられた。二俣分校1期生の高橋章(92)=宮崎県日之影町=が証言する。
 「戦陣訓」の否定だ。
 捕虜収容所に入れられても敵の情報を集めろ、敵にウソの情報を伝えて混乱させろという教えだ。そのためにわざと捕らえられることもあり得た。
 1期生の小野田寛郎(ひろお)(故人)は、福岡県の久留米第一予備士官学校で、突撃隊の指揮を習っていた。死も恐れず敵陣にひたすら突っ込むという訓練だっただけにギャップに驚いた。「俣一戦史」(俣一会発行)でこう書いている。
 「二俣では、どんな生き恥をさらしてもいいから、できる限り生きのびて、ゲリラ戦をつづけろという。そのためには自由奔放、融通無碍(ゆうずうむげ)、何をしてもかまわぬというのだ」
 フィリピンで30年近くも潜伏を続け、味方の反撃を待った原点である。
 「陸軍中野学校」(畠山清行著)によれば、甲賀流忍術の名人が本校に招かれて実技を披露した際、「忍者の道では、死は卑怯(ひきょう)な行為とされている」と前置きしてこんな話を披露した。
 「忍者はどんな苦しみをも乗り越えて生き抜く。足を切られ、手を切られ、舌を抜かれ、目をえぐり取られても、まだ心臓が動いているうちは、ころげてでも敵陣から逃げ帰って、味方に敵情を報告する・・・

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