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世相・風俗
朝日新聞社

ララ物資のおかげです! 戦後日本人は食と栄養にどう取り組んできたか

初出:2014年7月17日〜7月24日
WEB新書発売:2014年8月14日
朝日新聞

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 「コーリャンやヒエやアワ。昔、あんなにまずいと思ったのに」と芸能生活61年の女優、山本富士子さん。「確かにお父さんが考え出したんですよ」と、揚げパンを考案した父の話をする娘。「県民減塩運動」で長寿日本一から世界一を目指す長野県。米7割に麦3割の模範的な健康食。スポーツ栄養学が定着したのは1990年以降……。敗戦後に米国から届いた「ララ物資」、給食に出たコッペパンや揚げパン、理想値に落ちついた監獄食など、戦後70年、日本人の食と栄養への取り組みを振り返る。

◇第1章 大女優を生んだララ物資
◇第2章 揚げパンと立ち上がった
◇第3章 減塩、終わらない挑戦
◇第4章 7対3、監獄食の黄金比
◇第5章 勝負メシ、百年の計


第1章 大女優を生んだララ物資

 美人といえば山本富士子。物心ついた頃はそうだった。わたしと同じ50代半ばの人ならうなずいてくれるだろう。
 女優の山本富士子さんが世に出たのはララ物資のおかげと言ってもいい。
 衣食に窮した敗戦後の日本人のためにアメリカなどから贈られた民間の援助品。送り手のアジア救済公認団体(Licensed Agencies for Relief in Asia)の頭文字をとって「ララ物資」。大半は食料で、脱脂粉乳、小麦、牛やヤギまで船に乗って太平洋を渡ってきた。1946年から6年間、1400万人を支えたといわれる。
 51年、19歳の山本さんは「日米親善ならびにララ救済物資感謝使節」としてアメリカに行く。前年ミス日本に選ばれ、2人の準ミスと2カ月近くかけて全米をまわった。
 敗戦から6年。日本はまだアメリカを中心とする連合国軍に占領されていた。
 「待望の講和条約近きを伝えられ国際社会復帰へわれわれの希望と決意もまた新たな時」、ミス日本一行をアメリカへ送ることは「まことに意義深いことと信じます」。ミス日本コンテストを主催した読売新聞は報じている。
 山本さんは言う。「はじめはコンテストに出るつもりはありませんでした。お料理が好きで、いいお嫁さんになるのが夢でした」
 京都府立第一高等女学校を卒業して花嫁修業を始めたころ、市役所に勤める知人に応募を勧められた。役所がコンテストの窓口だったのだ。
 「ミス日本は、皇后陛下のお歌をアメリカに届ける大事な役目を務めるのだと説得され、そんな有意義なコンテストならと決心しました」
 〈ララの品つまれたる見てとつ国のあつき心に涙こほしつ〉
 香淳皇后が詠んだ、ララ物資への感謝の歌である。
 山本さん自身はララ物資に助けられたことはない。裕福な家に育ったが、敗戦前後はやはり食糧難に苦しんだ。
 「お米が足りませんから、大豆かす、動物の飼料ですよね、それからコーリャンなんかをいっぱいまぜて。そのまずさは忘れられません」
 戦争が終わると近くに進駐軍のキャンプが出来た。そこに出入りする知人がアメリカの食べ物を山本家に運んで来る。コンビーフの缶詰にナッツ入りチョコレート。「こんなおいしいものがあるのかしら」・・・

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