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朝日新聞社

阪神大震災から始まった 藤原紀香、真山仁ら各界6人が語る「私の原点」

初出:2014年10月22日〜27日
WEB新書発売:2014年11月20日
朝日新聞

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 「漏れ漂うガス臭、飛び交う怒号……すべてが暗黒の世界に見えた。なんで神様はこんなことをするのって思った」「何で自分は生き残ったんだって、後ろめたくてつらかった」「根底から価値観が覆され、苦しかった」「助けられたはずの命があったに違いない」……。2015年、阪神大震災から20年目がやってくる。あまりに多くの犠牲者を生んだ大災害に遭遇した人たちは、何を思い、どんな人生を歩んできたのか。東日本大震災にも思いを寄せる俳優、作家、市長、イラストレーター、建築家、医師ら6人が「私の原点」を語る。

◇1・17 は、わたしの原点
◇「小説家になる」、腹くくれた
◇まちの成り立ち、強く意識
◇絵で寄り添う、信念持てた
◇紙筒の住まい、安心届ける
◇命救えたはず、繰り返さぬ


1・17 は、わたしの原点

俳優・藤原紀香さん


 親の反対を押し切って芸能界に入ろうと、上京を決めました。建築士だった父は引っ越し代もない私を見かねて、家財道具を載せたトラックを夜通し運転して東京まで送ってくれた。車中の7時間余り、父はほとんど無言でした。1995年3月のことです。
 両親に蝶(ちょう)よ花よと育てられた私はこの2カ月前まで上京を半ばあきらめていました。20歳でミス日本グランプリになり、モデル業を始めました。でも親の方針で、仕事は兵庫県西宮市の実家からの通い。私自身、親の敷いたレールに従っていれば安心という気持ちもあった。このまま親のすねかじって、お見合いして結婚でもするのかなと思っていたとき、起きたのが阪神大震災でした。
◎人生1回はジャンプしてみんと
 ハワイで撮影を終え、関西空港に向かう機中で「関西地方に地震があったようです」とアナウンスが流れました。大したことないのかなと思いながら空港につくと、ロビーのテレビ前は黒山の人だかり。燃えさかる長田の光景が映っていました。
 阪急西宮北口駅から10キロ以上歩いて今津線の線路づたいに家に向かいました。漏れ漂うガス臭、飛び交う怒号。つぶれた家屋には下敷きの人が今もいるんだと想像しました。意識がもうろうとする中、泣きながら歩きました。
 両親と弟とは無事に再会できました。翌日から近所に住む小中学時代の同級生と一緒に、地域の公民館と小学校に向かった。お年寄りたちを毛布でくるんだり、手をさすったり。神戸の女子大時代に、知り合った医学生をポケベルで呼び出すと、バイクで薬を持ってきてくれた。
 友達の母親やゴルフ仲間の先輩……。ついこの間まで笑顔を見ていた人が亡くなりました。避難所では、水のペットボトルを2万円で売りつけるおっちゃんがいました。すべてが暗黒の世界に見えた。なんで神様はこんなことするのって思った。
 2カ月あまり支援に走り回って自分のこれからを考えました。親に大反対されている芸能の世界やけれど、もし私が震災で死んでたら死ぬ間際に後悔してたんやろうなって。だめでも1回、自分でやれるところまでチャレンジしたら納得もできた、と思ったやろうって。そう思ったら、「だめだ!」と思った。1回はジャンプしてみんと後悔するって。
 両親に打ち明けると、父はそっぽ向いてましたが、・・・

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