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朝日新聞社

特攻兵器「回天」生還者の告白 「死に損なった」今も残る自責の念

初出:2014年11月6日〜8日
WEB新書発売:2014年11月20日
朝日新聞

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 天を回らせ、戦局を逆転させる――そんな悲壮な決意を込めて名付けられた特攻兵器「回天」。太平洋戦争末期、旧海軍が魚雷を改造して極秘裏に開発、1944年11月の初出撃から終戦までに、145人が戦死した。死亡者の平均年齢は21・1歳。海軍に入ったばかりの若い兵隊が、次々と出撃していった。「これが俺の棺おけになるのか」。海軍飛行予科練習生を卒業したばかり、当時19歳の吉留文夫さんは、猛訓練を耐え抜き、1945年5月5日、出撃の日を迎える。お国のために死ぬことができる――。そんな決意をよそに、搭乗機の羅針盤が不調に。ぎりぎりのところで死ねなかった吉留さんは、戦後から今に至るまで、「死に損なった」と自責の念を抱きながら生きてきた……。88歳の「特攻帰り」が証言する、生々しい戦争の実相。

◇出撃の友、海に消えた
◇必中必殺兵器と対面
◇「死に損ない」引きずる


◇出撃の友、海に消えた

 放心状態で、その音を聞いた。
 「ドドドドォーン」
 1945(昭和20)年5月27日、沖縄東方の太平洋。続いて「ザザザーン」と、波が魚雷の船体をたたいた。
 その魚雷、「回天」の中央部にある、人間一人がやっと座れるだけの薄暗い操縦席で、当時19歳だった吉留文夫さん(88)は「とうとうやった」と思った。
 だが、次が続かない。2隻発進したはずだ。「一体どうなったんだ」。10分ほどたっただろうか、「カーン」と、金属がはじけるような音が聞こえた。自爆したのだと分かった。誘爆音も、波が船体を打つ音もなかったからだ。
 「もう、あの時のことは一生忘れられねえべな。俺の艇は出てっていないってことだけは確かなんだよ。ぼーっとして操縦席で横になったきりで。頭が真っ白になるって、まさにこういうことなんだなってな」

 「回天戦、用意!」。この日朝、敵船団を発見した伊号367潜水艦の武富邦夫艦長から出撃命令が下った。吉留一等飛行兵曹(一飛曹)は、千葉三郎・一飛曹(当時19)、小野正明・一飛曹(当時18)ら4人とともに「後を頼みます」との言葉を残し、甲板上に積まれた自分の回天に乗り込んだ。


 自分はもうじき死ぬのだというおそれはなかった。ようやく出撃できる。お国のために死ぬことができる――。「だって、それまで死ぬための訓練を毎日やってきたんだからな。血沸き肉躍る一方、頭の中は澄み切って冷静そのもの。研ぎ澄まされていたことだけは覚えている」
 「発進準備、よし!」。だが、ジャイロコンパスが正しく針路を示さない。連絡用の電話で伝えた。「艦長、羅針盤がちょっとおかしいです……」
 言い終わらないうちに、艦長の気迫のこもった声が耳に突き刺さった。「ハッシンテェーシッ!」。反論は一切許さないと言わんばかりの声に、頭の中が真っ白になった。
 ぼうぜんとしている間、最初に千葉一飛曹、続いて小野一飛曹の回天が発進していった。2隻の回天の特眼鏡(小型潜望鏡)が左右に振られるのが見えた。
 「太平洋の海はきれいだから、前も後ろも周りは全部見えるわけだ。これが最後の別れと思って一生懸命振っていたんだろうな」
 そして二つの爆発音・・・

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