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文化・芸能
朝日新聞社

朝日新聞が報じた太宰治 入水死の第一報からその後の再評価まで

初出:1948年6月15日〜1999年5月1日
WEB新書発売:2014年11月27日
朝日新聞

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 「人間失格」「斜陽」「ヴィヨンの妻」などの作品で知られ、戦前から戦後にかけて活躍した小説家、太宰治は、1948年6月13日、東京西部を流れる玉川上水で、妻とは別の女性と入水自殺した。日本文学史に残る事件を、朝日新聞はどう報じたのか。事件後の報道、時が経つにつれて増す評価、「天声人語」まで、新聞紙面に表れたさまざまな断片から、太宰治という「現象」を浮かび上がらせる電子書籍オリジナル企画です。※判読不明箇所は〓で表しました。住所のうち、番地は省きました。表記は適宜、読みやすさを重視して改めています。本文中には今日では不適当とされる表現が使われているところもありますが、歴史的資料であることなどに鑑み、原文のままとしています。

◇第1章 生と死
◇第2章 高まる人気
◇第3章 天声人語


第1章 生と死


※本章では、太宰の「死」に関する朝日新聞の報道を集めました

(1)発端
太宰治氏家出か

北多摩郡三鷹町下連雀作家太宰治氏(本名津島修治)(40)は十三日夜同町内の山崎晴子さん(30)方に美知子夫人と友人にあてた遺書らしいものを残して晴子さんと二人で行方をくらませていることが十四日わかり、同日夫人が三鷹署へ捜索願を出した
 夫人あての遺書には「小説も書けなくなった。人に知られぬところに行ってしまいたい」という意味のことが書いてあると夫人は語った、晴子さんの部屋には二人の写真をならべ線香をたき荷物は片づけてあった
(昭和23年6月15日)

(2)続報
太宰治氏情死
玉川上水に投身、相手は戦争未亡人
「書けなくなった」と遺書

特異な作風をもって終戦後メキメキと売出した人気作家太宰治氏は昨報のごとく愛人と家出。所轄三鷹署では行方を探していたが前後の模様から付近の玉川上水に入水情死したものと認定。玉川上水を中心に二人の死体を捜索している

家出した北多摩郡三鷹町下連雀太宰治氏(四〇)=本名津島修治=および〓入間町下連雀野川内山崎富栄さん=晴子は誤り=の行方につき三鷹署では十五日早朝から捜索を開始した

十四日東京都水道局久我山〓〓に男もの〓コマゲタと女もの〓〓〆めじまの緒のゲタ、各片方が発見されており、十五日朝になって井の頭公園寄りの玉川上水土手で、富栄さんのものと見られる化粧袋を、太宰家出入りの同町三一三元新潮社員林聖子さん(〓)が発見、中には小さいハサミ、青酸カリの入っていたらしい小ビンと水を入れていたらしい大ビンのほか、〓〓とかすに用いたらしい小ザラ一枚が入っており、すぐ傍らの草を踏みしめて土手を下ったあともあり、〓〓のゲタは両名のものと判明したので、上水に投身したものと認定、下流一帯を探しているが、増水のため捜索は困難を極め、午後六時、一たん捜索を打切った

同氏は自宅のほかに鶴巻幸之助方に仕事部屋をもっていたが十日ほど前からはどちらへも姿を見せず、ずうっと愛人の家にいた、同女の部屋はきちんとして整理され、本ダナの上に太宰氏と同女の写真をかざり、線香一束、小さい茶わんに水がそなえてあり、友人伊馬春部氏にあてた太宰氏自筆「池水は濁りににごり藤波の影もうつらず雨降りしきる」(伊藤左千夫の歌)の色紙がおいてあった・・・

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