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文化・芸能
朝日新聞社

忍者の里をだんじりがゆく 伊賀の祭りは流れる霧とともに

初出:2014年11月4日〜11月10日
WEB新書発売:2014年11月27日
朝日新聞

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 毎年10月23日からの3日間。三重県伊賀市の静かな城下町は、「どこから湧いたか」と地元の人でも思うほどの人であふれかえる。お目当ては400年の歴史を誇る上野天神祭。祭り自体が国の重要無形民俗文化財でもある。秋の霧が晴れると、空襲を免れた町並みを、子どもが泣き出すような鬼行列が練り歩き、だんじりがゆっくりと過ぎてゆく。実像は謎だらけの忍者や俳聖・松尾芭蕉を生んだ伊賀の里。その精神的支柱とも言える祭りをたどった。

◇第1章 伊賀の秋、霧は流れ
◇第2章 だんじりなければ何もなし
◇第3章 にらむ鬼、真昼の異界
◇第4章 生きて生き抜く忍びの道
◇第5章 行き交う年も旅人なり


第1章 伊賀の秋、霧は流れ

 カーテンを払うと、窓の外は濃い霧が立ち込めていた。なるほどこれが伊賀の霧か。
 宿を出て、城下町を歩く。2014年10月25日の朝、三重県伊賀市は400年の歴史を持つ上野天神祭の最終日――本祭を迎えようとしていた。何事もくるくる変わる世相にあって、足が地に着いたものが見たい。
 伊賀は霧の町である。子供の頃ここで暮らした横光利一は「私は方々を廻(まわ)つて歩いて見たが伊賀の霧ほど美しいものはあまりなかつた」と書いている。幼少時にあの霧の中で過ごしたことがどれほど精神に影響したことか、と。
 横光がそう書いてから90年ほどになる。霧は今も変わらない。祭りの朝、気になる空模様がわからないのは困ったが、ほどなく秋晴れが広がってみれば、さてはあれも天神さんの演出だったかと思えてくるのだった。
 普段の伊賀市は、中心部でも角を一つ曲がればひっそりとした通りが珍しくない。白鳳城と呼ばれる伊賀上野城が見下ろす町は、道幅の狭さも家並みも江戸時代の風情を残している。夕暮れのたたずまいに、逢魔刻(おうまがとき)という言葉を久しぶりに思い出した。そして夜の闇の深さ、静けさ。
 上野天神祭は、そんな町を一変させる。


 どこから湧いたかと思うほど人でいっぱいになるんですよと地元の人に聞いたのは、半袖では涼しく感じ始めた頃だった。上野祭りと呼ぶ人も多いが、これは伊賀市が10年前に上野市や伊賀町などが合併して出来たからである。伊賀市の玄関口が上野市駅と少々ややこしい。名張市を含めて一帯が昔の伊賀国だった。
 祭りは毎年10月23日からの3日間と決まっている。日が近づくと夜はあちこちから笛や太鼓の音が聞こえてきて、釣られて集会所の2階にお邪魔してみれば、大人も子供もお囃子(はやし)の稽古に余念がない。
 本祭は神輿(みこし)に始まり、鬼行列が続いて、9基のだんじりがお囃子とともにゆっくりと町を進んでいく。仕切るのは上野文化美術保存会で、その会長すなわち祭りの総大将は八尾光祐(78)、陣羽織を着て陣頭指揮に忙しい。14年春に閉じたが、家は江戸期からの和傘の老舗だった。自分の代まではと継いだ八尾は、全国を商談に歩いたという。
 露店が立ち並び、確かにどこから湧いたかと思う人波に、歩くのもままならない。14年は本祭で7万人、3日間では11万人を超えた。祭りは国の重要無形民俗文化財で、他の祭りと合わせてユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産登録を待つ。
 武家屋敷も残る伊賀の町並みは、空襲を免れたからこそだった。「ありがたいことに農家でしたから、戦中戦後の食糧難はあまり実感がない」と語るのは北出楯夫(73)、郷土史家で地元誌「伊賀百筆」編集長である。この地の今昔を様々うかがったが、祭りは子供時分の大きな楽しみだったという。当時はサーカスがやって来て、見せ物小屋も並んで盛況だったらしい。
 13年は霧ならぬ雨、戦後初めて全日程が流れた。連綿と続く祭りと、伊賀ならではの風物をたどる・・・

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